中尾根
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 14:43 UTC 版)
中尾根の建築群は南北を谷に挟まれ、東に向かい下がっていく尾根を平坦に削って設けた40m×18m程度の平場にある。東は塔跡、西は小金堂跡と考えられ、それぞれ礎石と基壇を残す。その二つを囲うように別の基壇が中尾根北側に東西方向に33mほど残っているが、同様の基壇が尾根筋を固めるように東側や南側にもあったと考えられている。その基壇は根石から控えて切石が並べられており、二重基壇と考えられる。基壇は小金堂と塔の中間部分で階段状になっている。 塔跡は3間四方で一辺が約6.2m。基壇が残るが根石はほとんど残っていない。基壇中央の地表から1.2m下、岩盤を掘り下げて塔心礎を据えている。塔心礎は長辺1.8m、短辺1.5mの自然石だが、上面は平滑に仕上げられて中央に径52㎝、深さ10㎝程度の柱座が穿たれている。また塔心礎の南側面も平滑に仕上げられ、奥行21㎝、高さ18㎝ほどの舎利孔が穿たれ、石で蓋をされていた。舎利孔内部は朱で塗られ、金箔が押されていた。舎利孔内から舎利容器などが出土したが、後述する理由により出土状況は定かではない。四天柱と側柱の礎石は径75㎝の円柱座が刳りだされ、側柱の礎石は地覆受けも付いている。礎石は一部剥落しており火災の影響と思われる。この塔は文献資料により三重塔と考えられている。 小金堂跡は間口3間、奥行き3間(もしくは間口3間、奥行き2間で東面に庇が付く)で、周囲に基壇があり一部根石も残されていた。小金堂は東面しており『扶桑略記』に本尊が阿弥陀如来とする記述に合致している。 また塔より東には南北方向に並ぶ3つの礎石があり、塔などと軸が揃っていることから関連する施設の跡と思われる。用途は定かではないが、梶原義実は2間四方の鐘楼であった可能性を指摘している。
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