中国へ与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 02:30 UTC 版)
「陽明学」を参照 日本では幕末から近代にかけて陽明学が重要な思想とされ、松陰を含めて熱心に読まれたのに対して、清朝では陽明学は忘れられていた。清朝末期の動乱、とりわけ日清戦争以後、明治日本に清末の知識人が注目するようになると、すでに中国本土では衰微していた陽明学にも注意が向けられるようになった。明治期、中国からの留学生が増加の一途を辿るが、そうした学生たちにもこの明治期の陽明学熱が伝わり、新しい中国の国づくりを考える若い思想家・運動家のなかでも陽明学が逆輸入され、読まれるようになった。「陽明学」という呼称が、中国に伝わったのもこのころで、松陰の著作も中国で読まれるようになる。のちに今文公羊学を掲げる康有為は、吉田松陰の『幽室文稿』を含む陽明学を研究したといわれる。また、康有為の弟子の梁啓超は1905年、上海で『松陰文鈔』を出版するほど、陽明学を奉じた吉田松陰を称揚した。
※この「中国へ与えた影響」の解説は、「吉田松陰」の解説の一部です。
「中国へ与えた影響」を含む「吉田松陰」の記事については、「吉田松陰」の概要を参照ください。
- 中国へ与えた影響のページへのリンク