三重県警察と衝突した磯津漁民一揆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 12:05 UTC 版)
「四日市ぜんそく」の記事における「三重県警察と衝突した磯津漁民一揆」の解説
重油発電に転換した第2四日市コンビナート内にある中部電力三重火力発電所(四日市火力発電所)が第1コンビナートからの排水で生物ゼロの死の海となった伊勢湾周辺の四日市港(各四日市コンビナート工場の汚排水が流れ込む)伊勢湾の海水を午起地区から取水して、中部電力の発電機の冷却に使用していた。 中部電力は伊勢湾の海水を冷却した後、その冷却した温排水を港と反対側の塩浜地区と楠町の中間の鈴鹿川へ放流していた。水質汚染で塩浜地区の磯津漁港付近の伊勢湾は死の海と変化して磯津漁師の生活権を奪った。 塩浜地区の磯津港近辺の魚がくさく異臭をするようになり風評被害で売れないことから、漁村である磯津の漁師は、鈴鹿川の水を冷却に使い港へ放流する方法の要求と、使用した海水を四日市港へ放流するなどの処置を中部電力に要求したが聞き入れられなかった。 1963年6月21日に、昭和史(特に戦後史)では珍しい貴重な一揆であり、通称名で磯津漁民一揆と呼ばれた漁民一揆が発生をした。三重県・四日市市・会社側(中部電力)と磯津漁民との間で度重なる交渉があったが、返答に業を煮やした磯津漁民は「中部電力の排水口を閉じてしまえ」と10隻の漁船に100人が乗り込み、陸から150人がスコップを手に排水口に押しかけた。 400人程度の磯津漁港の漁民が、廃船と土のうを使用する方法で法的に暴動と誤解される磯津漁民一揆と呼ばれた刑事事件を犯した。しかし磯津漁民の実力行使に対して中部電力と三重県の要請で、三重県警察の警官隊が大量出動をした。工場側は警察権力で水門を警備する事とした。 磯津の漁民は、三重県警の警官隊の制止を無視した。警察の言う事を聞かず、力ずくで磯津漁港の漁民が実力行動に移った。三重県警察は機動隊80人と私服警官30人と警備艇2隻を動員した。磯津漁民による磯津漁民一揆の罪状は「水利妨害の刑法123条違反」であった。塩浜地区連合自治会長であった男性が、この事態が一大事として「留め男」となって塩浜地区の磯津漁民と中部電力の仲介を三重県に頼んだ。同じ塩浜地区出身の田中覚知事に解決をせまることにした。
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