三重県立津実業高等学校(定時制)時代
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「伊藤忠治」の記事における「三重県立津実業高等学校(定時制)時代」の解説
敗戦の傷跡がまだ癒えていない1950年(昭和25年)に津実業高校の5期生として入学した。津実業高校の校舎の窓ガラスなどの基本設備がきちんと整備されていなかった。真冬の授業に耐えるために窓枠に新聞紙を貼って寒風を防いだ事を国会議員時代になるまで記憶していた。高校時代に職場で丸1日働いてから学校へ自転車で駆けつけるのが一日の生活で、学生食堂へすっ飛んでいてコッペパンやあんパンをほおばりながら脱脂粉乳で作った温かいミルクを流し飲んで空腹を満たすのが楽しみだった。勉強の方が意外と真面目で、卒業すれば新たな職業を探そうと考えていた事情があり学習意欲があった。 一流大学を中心に大部分が大卒となっている高学歴な国会議員の中で、全日制(昼間)の高校出身ではない、数少ない定時制高校出身の国会議員であった。交通事故死したキリスト教徒の友人(男の親友)と黒人霊歌など音楽活動をしていた。
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