三国志演義における馬良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 22:10 UTC 版)
小説『三国志演義』における馬良は、劉備が荊州を支配した時に伊籍の推薦で出仕している。 雒城で苦戦する劉備と龐統の元を訪れ、諸葛亮が天文を見たところ凶兆があったことを知らせた。しかし、龐統はこの忠告を諸葛亮の嫉妬によるものとして黙殺する。まもなく龐統は落鳳坡で戦死し、諸葛亮が劉備の軍師を務めるため荊州を離れると、関羽は荊州の留守を守ることになった。馬良は文官の一人として関羽を補佐している。 関羽が樊城を守る曹仁を攻めた時、左腕に毒矢を受けた。毒は骨まで達していたので華佗の手術を受けたが、関羽は馬良と囲碁をし、肉をかじり談笑しながら平然と手術を受けた。呂蒙・陸遜に背後から襲撃され関羽が窮地に追い込まれると、伊籍と共に成都へ援軍要請の使者となる。 夷陵の戦いにおいては、戦況が長期化する中で劉備の布陣に疑問を持ち、成都の諸葛亮に意見を求めることを勧め、劉備の命令により諸葛亮の元へ赴く。諸葛亮は劉備の布陣に致命的な欠陥があると見抜き、馬良を急いで劉備の陣に戻らせたが間に合わず、劉備は陸遜に大敗してしまう。また、史実とは異なり夷陵の戦いでは戦死せず、諸葛亮の南征中に死去したことになっていて、輸送部隊を率いてきた馬謖が諸葛亮にその死を告げた。
※この「三国志演義における馬良」の解説は、「馬良」の解説の一部です。
「三国志演義における馬良」を含む「馬良」の記事については、「馬良」の概要を参照ください。
- 三国志演義における馬良のページへのリンク