万里小路藤房
万里小路藤房
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万里小路 藤房(までのこうじ ふじふさ)は、鎌倉時代末から南北朝時代にかけての公卿。大納言・万里小路宣房の一男。官位は正二位・中納言。後醍醐天皇の側近として倒幕運動に参画し、建武政権では恩賞方頭人や雑訴決断所寄人など要職を担った。だが、突如、世を儚んで出家した。本姓の「藤原」により藤原藤房とも言う。江戸時代の儒学者安東省菴によって、平重盛・楠木正成と共に日本三忠臣の1人に数えられている。
- ^ a b c d 『大日本史料』6編2冊1–25頁
- ^ 万里小路季房の子
- ^ 『光明寺残篇』元弘元年10月12日条。北条時益や北条泰家などに比定する説がある。
- ^ 『大日本史料』6編1冊574–581頁.
- ^ 『大日本史料』6編1冊752–759頁.
- ^ 博文館編輯局 1913, pp. 300–305.
- ^ 博文館編輯局 1913, pp. 334–339.
- ^ 博文館編輯局 1913, pp. 339–343.
- ^ 長谷川 1996, p. 26.
- ^ 『大日本史料』6編1冊141–142頁.
- ^ 『公卿補任』に「配流下総国」とするのは誤り。
- ^ 『萬里小路家譜』(東京大学史料編纂所蔵)
- 1 万里小路藤房とは
- 2 万里小路藤房の概要
- 3 略譜
- 4 系譜
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