恩賞方
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恩賞方(おんしょうがた)とは、建武政府及び室町幕府に設置された恩賞業務を取り扱った部局。
注釈
- ^ 流布本巻12「公家一統政道の事」[3]では、「恩賞方の長官は一人で、「上卿」と言い、洞院実世は実力不足から解任され、次の万里小路藤房は正道が行われない怒りから辞職し、さらに次の九条光経も後醍醐と佞臣の無道におろおろとするだけだった。恩賞方は審議機関でしかなく最終決定権を後醍醐天皇の親裁としたこと、天皇が恩賞問題の処理を恩賞方に一元化せずに(主に側近の要望を受けて)恩賞方の意見と違った綸旨を下したこと、そのために訴訟も頻発し更に訴訟機関が整備されていなかったために恩賞方に訴訟事務が殺到したことによって恩賞業務は混乱した」という描写あるが、事実かは不明である。そもそも「8月3日設立(実際は7月中)」「藤房は恩賞方を離れた(実際は翌年恩賞方として活動している)」「北条泰家の所領は全て護良親王に渡った(実際は岩松経家らも泰家の所領を得ている)」など、少なくとも3箇所以上で史実と矛盾している。
出典
- ^ 『大日本史料』6編1冊141–142頁.
- ^ 長谷川 1996, p. 26.
- ^ 博文館編輯局 1913, pp. 300–305.
- ^ 『大日本史料』6編1冊574–581頁.
- ^ 森 2016, pp. 68–70.
恩賞方
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恩賞方は鎌倉幕府の討幕運動に参加したものに対する論功行賞を処理。記録所や恩賞方は調査機関であり、個々の政務に関する判断を下すための先例や意見が答申され、それらが後醍醐の決裁を経て「綸旨」の形で発せられた。
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