ロンドン軍縮会議とは? わかりやすく解説

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ロンドン‐ぐんしゅくかいぎ〔‐グンシユククワイギ〕【ロンドン軍縮会議】

読み方:ろんどんぐんしゅくかいぎ

1930年ロンドン開かれた日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリア5か国(フランス・イタリアは途中脱退)による海軍軍備制限ための会議。ロンドン海軍条約締結され主力艦以外の補助艦一定の比率制限することを決定日本イギリスアメリカの約7割の補助艦保有することになったが、国内では軍部激しく反対し、統帥権干犯問題引き起こした


ロンドン海軍軍縮会議

(ロンドン軍縮会議 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/11 23:08 UTC 版)

ロンドン海軍軍縮会議(ロンドンかいぐんぐんしゅくかいぎ、: London Naval Conference of 1930)は、1930年昭和5年)に開催された列強海軍の補助艦保有量の制限を主な目的とした国際会議。イギリス首相ラムゼイ・マクドナルドの提唱により、イギリスロンドンで開かれた。開催期日は1月21日から4月22日




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ロンドン軍縮会議

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山梨勝之進」の記事における「ロンドン軍縮会議」の解説

中将時に海軍次官務め1928年昭和3年12月10日- 1930年昭和5年12月1日)、1930年1月 - 4月開催されロンドン海軍軍縮会議妥結させるために奔走した反対勢力から暗殺される危険があったが、軍務局長堀悌吉海軍省先任副官古賀峯一と共に暗殺される覚悟所信貫いた軍縮会議全権となった海軍大臣財部彪不在のため、山梨海軍省預かり岡田啓介前・海大臣軍事参議官)の助力得て艦隊派軍令部次長末次信正をして「山梨のごとき知恵ある人物にはかなわず」と言わしめる活躍であったロンドン海軍軍縮会議の際に反対派持ち出した理論統帥権干犯であるが、山梨見解下記の通り統帥権問題対す海軍全般的な態度は、もともと、憲法解釈枢密院権限であるのにかんがみ、われわれが憲法論などを言ってみたところ世間物笑いなるだけであり、アメリカ態度予算問題など頭がいっぱいで、海軍省及び軍令部において、考えたことも、言ったともなく興味なければ研究したこともなかった。 — 海上自衛隊幹部学校での講話第三話「ワシントン・ロンドン軍縮会議」より、昭和36年11月6日7日講話山梨勝之進

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