ロンドン滞在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 08:05 UTC 版)
1905年7月の夏期休暇にリセ・ヴォルテール時代の友人の兄の紹介でA・サンダーソン氏の経営する英国の壁紙製造会社で働いた。高等師範学校を卒業後の職業として英語教師を想定していたのが英国行きの主な理由であり、またイギリスはフルニエの尊敬するディケンズの国であるというのも大いに興をそそられた。期間はおよそ2ヶ月半で、ロンドンの住まいは勤務先の役員をしていたナイチンゲール氏という人物の自宅の一室を格安で提供されており、その交換条件として氏にフランス語の家庭教師をするという条件があった。仕事は商業通信文等の手紙をフランス語は英語に、英語はフランス語に翻訳する作業だった。この英国滞在中にフルニエは自身の英語に自信をつけたようである。ラカナルでの友人がロンドンにやって来た時に、学校では英語の成績が同等であったにもかかわらず、かなりの差をつけたことをリヴィエール宛の書簡に書いている。イギリスではあまりパンを食べることができず家族宛の手紙にパンを送って欲しい旨の手紙を出しており、フランスパンの店を見つけたフルニエは野外にもかかわらず貪り食ったりしていた。滞在期間中は熱心に美術館巡りをしたり、ナイチンゲール氏と田園地帯や公園、英国庭園などを見て回り深い感銘を受けた。7月3日に始まったこの英国滞在は9月16日まで続いた。
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