リオ五輪代表落選
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2014年1月26日、アジア仁川競技大会女子マラソンの選考レースだった大阪国際女子マラソンは、右大腿部疲労骨折の診断により、同大会3年連続でエントリーしながらも結局は欠場。その後も怪我の影響などで満足にトレーニング出来ない日々が続く中、「2016年8月のリオデジャネイロオリンピック出場を目指す」と公言するも、2015年世界陸上北京大会女子マラソンの国内選考会は、名古屋ウィメンズマラソン等を含め全て回避、リオ五輪へは翌2015年度の国内選考会で勝負する事を表明した。 2016年1月31日、大阪国際女子マラソンと同時開催の大阪ハーフマラソン・女子の部に出場するも、リオ五輪女子マラソン日本代表内定者で、女子優勝の伊藤舞に3分以上遅れの6位でゴール。その後野口自ら「私がオリンピックを目指すのはリオが最後。名古屋(ウィメンズマラソン)でダメならこれで引退かも知れない」と涙ながらにコメントした。 リオ五輪へのラストチャンスを賭けて、2016年3月13日の名古屋ウィメンズマラソンに出場したが、序盤の5Km過ぎで早々先頭集団から脱落。その後もペースは上がる事無く優勝争いに加われないまま、結果2時間33分台の23位と記録・順位共ワーストに終わり、リオ五輪女子マラソン日本代表選出はならなかった。それでもゴール後の野口は「30Km過ぎから走っている人から沿道まで私をずっと応援してくれて、花道のようだった。愛されていたんだな、としみじみ感じていた」と涙ぐみながらも笑顔でインタビューに応えつつ、「今後は分からないが、悔いの残らないレースができた。モスクワで棄権した事が心に残っていたので、ゴール出来て良かった」と完全燃焼出来た事を強調していた。
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