リオデジャネイロパラリンピックまで
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「中西麻耶」の記事における「リオデジャネイロパラリンピックまで」の解説
ロンドンオリンピックを最後にいったん引退したが、翌2013年3月8日、再開した自身のBlogで現役続行を表明。この間の2012年10月14日に、大分県の大分南警察署にて一日署長を務めている[要出典]。復帰後は大分に拠点を移した。ジョイナー元コーチの勧めを受けて、健常者の大会にも積極的に出場するようになったが、「オープン参加」の扱いであった。活動資金は依然として厳しい状態で、資金不足により、2013年世界選手権の参加は断念した。 2013年10月13日、第13回全国障害者スポーツ大会に出場(100m、走幅跳び)。走幅跳びで自己ベストを更新し、佐藤真海の持つ当時の日本記録を16cm上まわる5m18cmで優勝。しかしこの大会では2020年の東京五輪招致に絡み佐藤がクローズアップされていたため、優勝した中西に対して「空気読めよ!」と心ない声を浴びせる者もいた[要出典]。また日本記録についても、この大会は「障害者の社会復帰が目的」で国際パラリンピック委員会(IPC)公認大会ではなく、幻の新記録となった。 2014年9月7日、2014ジャパンパラ陸上競技大会に出場(100m、走幅跳び)。100mはフライングで失格。走幅跳びで自己ベストを更新し5m27cmで優勝。この大会はIPC公認大会であり日本記録を公式に更新した。なお、第一跳躍で5m3cmを跳びその時点で新記録であった。また、2.7mの追い風参考記録ながら第二跳躍では5m33cmを跳び会場をどよめかせた[要出典]。 2016年4月9日、新日本製薬大分パラ陸上2016 に出場(100mは棄権[要出典]、走幅跳び)。走幅跳びで5m27の自己ベストを更新し5m48cmで優勝。IPC公認大会であり自己の持つ日本記録を更新した。 2016年5月1日、第27回日本パラ陸上競技選手権大会 に出場(100m、走幅跳び)。100mは13秒90、走幅跳びでこのシーズン二度目となる自己ベストを更新して5m51cmで優勝。自己の持つアジア記録・日本記録を相次いで更新した。 2016年リオデジャネイロパラリンピックに100mと走幅跳で出場、下記の結果を残した。 リオデジャネイロパラリンピックでの結果: T44 100m 14秒40 - 2組5/6、予選敗退 F44 走幅跳び 5m42 - 4位
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