ヨセミテ、最初の公園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 19:45 UTC 版)
「ヨセミテ渓谷」の記事における「ヨセミテ、最初の公園」の解説
エアーズの作品が東部人のヨセミテ渓谷に関する認識を与え、保存のための動きが始まった。ガレン・クラーク、牧師のトマス・スター・キング、およびランドスケープ・アーキテクトのフレデリック・ロー・オルムステッドなど影響力ある人物が、カリフォルニア州のジョン・コネス上院議員を動かし、ヨセミテを保護させるようにした。 エイブラハム・リンカーン大統領は1864年6月30日に、ヨセミテ渓谷とジャイアント・セコイアのあるマリポサ・グローブを、カリフォルニア州が「公的に使い、リゾートとリクリエーションの場とし」、この2つの土地を「永久に譲渡されない」ことを認める法案に署名した。これは連邦政府が景観の良い場所を保護のためだけに取って置き、人民全てが楽しむことを認めたことで、歴史上初めてのことになった。 地域を公園として指定するだけでは、そこを保護するために十分ではなかった。カリフォルニア州がこの公園の管理に取り掛かったのは1866年になってからであり、ガレン・クラークを公園の管理人に指名した。その後の11年間は渓谷の中の土地を自家の土地とする主張との争いに費やされた。観光客の増加に対応し、最初の駅馬車道、さらにはヨセミテ渓谷鉄道を建設する需要があり、渓谷内外のほてるなど施設が造られたのが19世紀の残り期間だった。しかし同時に渓谷自体に対する環境破壊が起こった。ヨセミテ公園が州の管理下にあったときの問題が、1872年に初の完全な国立公園としてイエローストーン国立公園を設立する時の要因の1つだった。 渓谷に行くときの難しさ故に、初期の観光客は数週間から数か月を要し、家族全員が多くの所持品を持ってきていた。それ故に初期のホテルは、長期間家を離れて滞在できる裕福な顧客が滞在し接遇されるように造られていた。1880年代に建設されたこのようなホテルの1つ、ワウォナ・ホテルが現在も営業している。 ヨセミテ渓谷が公園になった後、周辺の領域はまだ製材、鉱業、放牧の対象になっていた。ジョン・ミューアは渓谷を取り囲む準高山草原に与えた損傷を公表し、1890年に政府はヨセミテ渓谷とマリポサ・グローブを囲むかなり広い範囲を国立公園として創設した。イエローストーン国立公園と同様に、新しい連邦政府の公園は1914年までアメリカ陸軍の管轄下にあった。1906年、カリフォルニア州はヨセミテ渓谷とマリポサ・グローブを連邦政府に移譲した。国立公園局が1916年に設立され、ヨセミテの管理を引き継いだ。
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