ヨセフとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 15:52 UTC 版)
「シメオン (ヤコブの子)」の記事における「ヨセフとの関係」の解説
古典的なラビ文献においては、シメオンは非常に怖いもの知らずであるが著しく妬み深く、そしてヤコブのお気に入りであるヨセフに対しては常に敵対的で悪意を抱いていたとされる。セーフェル・ハイ=ヤーシャールでは、創世記第37章でヨセフが羊を飼っている兄弟たちの後を追ってドタンの町に来た際に、ヨセフを殺さなければならないと主張したのはシメオンであるとしている。また、他の古典的なラビ文献では、シメオンはヨセフを荒野の穴に落とし、ユダがヨセフを殺さずにイシュマエル人の商隊に売ったと分かった際に激怒したとしている。古典的なラビ文献によれば、シメオンはこの残忍さに対する神の罰によって右手が萎えて苦しんだが、彼が後悔したため手は1週間後に回復したとされる。 聖書のヨセフの物語において、ヨセフがエジプトでパロに重用されエジプト全国の司となり、そのヨセフの前に飢餓で苦しんだ彼の兄弟が穀物を求めてあらわれた際、ヨセフは兄弟たちにベニヤミンを連れてくるように頼み、兄弟たちがベニヤミンを連れて帰ってくることを確実にするためにシメオンを人質に取った。古典的なラビ文献によると、シメオンをレビから離さなければ、かつてシケムの町を破壊したように、シメオンとレビが一緒になってエジプトを破壊するかもしれないと考えたので、シメオンを人質に選んだとしている。他の理由として、ヨセフに対する裏切りで顕著な役割をしたためにヨセフはシメオンを選んだとされる。セーフェル・ハイ=ヤーシャールでは、シメオンは人質になろうとしなかったので、ヨセフは力ずくで捕らえるために70人の屈強なエジプト人を送ったが、非常に力強い声で単純に叫んだだけでエジプト人を遠ざけたとされる。このとき、シメオンは結局マナセによって取り押さえられて投獄されたとされる。一方で「シメオンの遺書」 (en)においては、シメオンは自身が投獄されてヨセフの虐待を受けることを当然だと認め、喜んで投獄されたとしている。 ラビ文献の多くは、シメオンは彼の兄であるルベンが死ぬ3年前に120歳で死んだと主張しているが、一方でバミドバル・ラバー (en:Numbers Rabbah)では、ルベンの死後シメオンが兄弟の長子となったとしている。
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