モダニズムへの傾倒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 04:42 UTC 版)
「T・S・エリオット」の記事における「モダニズムへの傾倒」の解説
1906年にハーバード大学に入学。フランス文学と古代・近代哲学、比較文学などを学ぶが、やがてアーサー・シモンズ『文学における象徴派の運動』などに触れてモダニズム運動への傾倒を深めてゆく。1909年には大学院へ進学、ジョージ・サンタヤナとアーヴィング・バビットから指導を受け、とくに近代の進歩に懐疑的立場をとるバビットに共鳴したとされている。同時期に学内の同人誌に詩を寄稿し始める。 1910年にパリへ留学。当時のパリではあたらしい文学・思想運動が相次いで勃興していたが、とりわけコレージュ・ド・フランスで聴講したベルクソンの講義や、シャルル・モーラスの反古典主義に強い影響を受けた。このころ書かれたのが初期の代表作「プルーフロックの恋歌」で、ベルクソンの「純粋持続」の観念に大きく影響されている。 1911年末にハーバード大学へ戻り、サンスクリットと古代インド哲学の研究に没頭する。1914年にはまずベルリン、ついでイギリスに渡った。イギリスではオックスフォード大学に滞在して観念論哲学者F・G・ブラッドリーに関する論文を執筆し、これは2年後にハーバード大学へ博士号請求論文として提出されたが、結局学位は取得しないままとなった。
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