メーカーとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 15:56 UTC 版)
フォーミュラカーではホンダとの強い結びつきがイメージされるが、ワークス契約はしておらず、プロレーサーとしてホンダ一辺倒だったわけではない。 デビュー当初は、マツダ系ディーラーの碧南マツダの支援を受け、ファミリアやサバンナRX-3などで多くのレースに参戦しており、富士GCにおいてもマツダエンジンを使用していた。また、全日本F2でホンダのワークスエンジンの供給を受け参戦するのと並行して、ロータスから技術供給、および資本提携していたトヨタがF1参戦の可能性があったこともあり、1980年のフォーミュラ・パシフィック(FP)やその後のル・マン24時間レース・WEC-JAPANなどでは、トヨタ系のマシンを数多くドライブしている。 一方で日産との関係は薄く、1979年のFPで星野一義の代役として1戦のみ出場した程度である。一説にはこのFP参戦時に長谷見昌弘とチームオーダーの件で対立し、それが中嶋から日産を遠ざけた一因といわれている。しかし、中嶋本人は『ホリデーオート』誌上でフェアレディZを思い出に残る車にあげている(そのほか、引退した翌年にゲスト出演した「さんまのまんま」でもフェアレディZが愛車であったと語っている)。
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