星野一義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 05:45 UTC 版)
星野 一義(ほしの かずよし、1947年7月1日 - )は、日本の元レーシングドライバーである。現在は株式会社ホシノインパル代表取締役社長。静岡県安倍郡玉川村(現・静岡市葵区)出身。血液型:A型。現役時代は「日本一速い男」と呼ばれた[1][2]。
注釈
- ^ 免許がなく、公道を走れない事もあり、リヤカーにモトクロッサーを積んでコースと家を行き来している姿を廃品回収を手伝う勤労少年だと思われ、通りすがりのおばさんに誉められたという逸話も残っている。
- ^ 金子もカワサキ系モトクロスライダーだった。金子は星野より4歳年上だが、後に星野の妹の夫となったため星野の「義弟」である。
- ^ 元は桑島正美の車両だった[13]。
- ^ 当時の全日本選手権では「外国ライセンスのドライバーはポイント対象外」の規定があり、中嶋の後半2戦(第5戦2位・第7戦2位)の成績はポイント対象外となった。
- ^ 同年は星野と同じくジェフ・リースと鈴木利男もホンダF1エンジンのテストを担当した。
- ^ 出演したアライヘルメットのテレビCMでは「臆病だよ」と自らを語る場面がある。
- ^ ボタンを押している間だけエンジンの点火がカットされるため、アクセルを踏みっぱなしでもシフトアップが可能な装置。
- ^ メーカー契約のない中嶋悟はF2でホンダ、グループCではトヨタから参戦していたが、日産ワークス所属のドライバーは国内他社のマシン・エンジンでのレース参戦は禁止だった(BMWなど外国メーカーのマシンやエンジンを購入してプライベーターとして参戦する場合は許された)。
- ^ 当時すでにNISMOの社内ではル・マン24時間レース参戦に向けた準備が始まっており、星野はエースドライバーとして内定済。
- ^ ホンダはフォーミュラカーがメインだったのに対し、日産はグループCで活動していたため。全日本ツーリングカー選手権には両社とも参戦していたが、参戦クラスが異なったため直接対決がなかった。
- ^ 前述の2012年のイベントの際も、ケビン・シュワンツやワイン・ガードナーのWGPマシンを間近で見ながら「俺も乗ってみたい」「俺は元レーシングライダーだったんだぞ」と発言している。
出典
- ^ Strada 2016.
- ^ a b 貝島 & 田口 2002, p. 146.
- ^ Racing on 468, p. 41.
- ^ a b “星野一義の夢、かなう。ホンダRC166で鈴鹿をデモラン「本当にすごかった!」”. AUTO SPORT Web. (2017年3月4日) 2018年1月24日閲覧。
- ^ Racing on 474, p. 57.
- ^ Racing on 480, p. 91.
- ^ 星野一義レーシングキャリア ホシノインパル公式プロフィール
- ^ a b 【星野一義ファンブック】これ反則じゃないの?禁断のファミリーインタビュー webモーターマガジン 2017年4月26日
- ^ a b Racing on 468, p. 45.
- ^ a b Racing on 468, pp. 23–24.
- ^ Strada 2016, pp. 10–11.
- ^ Racing on 474, pp. 44–47, 56–62.
- ^ a b c Strada 2016, p. 26.
- ^ Strada 2016, p. 22.
- ^ Racing on 468, pp. 66f.
- ^ a b c Impul Official DVD 星野一義ヒストリー 2004年7月1日
- ^ Racing on 468, pp. 28–29, 46.
- ^ Strada 2016, pp. 46–47.
- ^ a b Racing on 468, pp. 31.
- ^ a b c 【星野一義】1960年代から70年代「欧州F2挑戦を糧に国内F2、GCダブルタイトルを獲得」【日本一速い男の半生記③】
- ^ a b 「走る人生」中嶋悟20年の軌跡 意識は世界に グランプリ・エクスプレス 12-13頁 1991年10月12日発行
- ^ 1978 Rouen Grand Prix MotorsportMagazine
- ^ 1978 Donington F2 SUNDAY, JUNE 25, 1978 MotorsportMagazine
- ^ Strada 2016, pp. 64–65, 68.
- ^ 定塚 2002.
- ^ 「日本一速い男」が激白「ホシノインパル」の誕生と苦境オートメッセ 2021年2月21日
- ^ 生き様に詰まった義理人情 ENKEIヒューマントーク 2013年月日
- ^ 伝説のインパルD-01シルエット誕生秘話・星野一義&稲田大二郎スペシャル対談 モーターファン 2022年7月4日
- ^ a b 「日本一速い男」が激白「ホシノインパル」の誕生と苦境からの逆転劇 オートメッセweb 2021年2月21日
- ^ Racing on 468, pp. 70.
- ^ Strada 2016, pp. 64–65, 69.
- ^ 星野インパル初期のカズヨシ100%【OPTION 1984年2月号より 前編】 2017年6月13日
- ^ a b Strada 2016, pp. 92–93.
- ^ Racing on 480, pp. 94f.
- ^ Racing on 480, p. 40.
- ^ Racing on 474, p. 33.
- ^ Strada 2016, pp. 110–113.
- ^ Racing on 474, p. 31.
- ^ Racing on 474, pp. 10–11.
- ^ 星野一義選手 レーシングドライバーを引退 NISMO 2002年8月28日
- ^ & Racing on 468, pp. 89.
- ^ “野尻智紀が日本プロスポーツ大賞の敢闘賞を受ける。スポーツ功労者顕彰の長谷見昌弘氏、星野一義氏も登壇”. auto sport web. 2023年3月3日閲覧。
- ^ a b c d あの頃のオレ達へ 星野一義+松本恵二 大いに語る カーグラフィック 2014年12月号
- ^ 「私のチームを評価しました!」No.12 カルソニックIMPUL/星野一義監督 SUPER GT.net 2019年9月12日
- ^ 「走る人生」パイオニアの挫折 一志治夫 GPX 1991オーストラリア 12頁 山海堂 1991年11月23日発行
- ^ a b 「日本にはホシノがいる」が外国人ドライバーの合言葉だった ホリデーオート 2017年4月23日
- ^ アーバインの大殊勲 悲願のF1初優勝を遂げたフェラーリ第2の男 Racing On No.290 11頁 1999年3月26日発行
- ^ Racing on 468, pp. 67.
- ^ 『GRAND PRIX SPECIAL』、ソニー・マガジンズ、2008年2月、97頁。
- ^ 星野一義のひとりごと・タバコをやめて来月で2年 ホシノインパル 2009年9月11日
- ^ 新春特別企画ホッチと遊ぶ「日本一速い男の日常生活を追う」・ホッチはお酒を飲まないので夜遊びはしない Option 1984年2月号 91-92頁 1984年2月1日発行 三栄書房
- ^ 星野一義コラム「星野塾」第十四回 カルソニックカンセイ 2016年9月
- ^ 星野一義さんの愛猫と井出有治の相性は最悪だった!? 自動車ニュースメディア クリッカー.com 2021年5月20日
- ^ GTドライバーへ一問一答第33回・星野一樹 SuperGT公式 2016年7月6日
- ^ 星野家は小さい頃からずっと動物一家でした 犬 猫 鳥 うさぎ ハムスターetc 星野一樹Instagram 2018年12月9日
- ^ 『Racing On」』第86巻、武集書房、1990年、90頁。
- ^ 『Racing On』第100巻、武集書房、1991年、54頁。
- ^ 星野一義は本物の剣豪である。 F1っぅ放送作家 高桐唯詩のブログ 2017年4月25日
- ^ がんばれブノワ!星野一義監督からアウディワークス入りのトレルイエにエール(貝島由美子) オートスポーツweb 2010年1月29日
- ^ Racing on 468, p. [要ページ番号].
- ^ a b 星野監督の“神伝説”を亜久里監督が暴露 - オートスポーツ・2016年1月17日
- ^ a b 日本レース史の謎を解く①北野元さん オールド・タイマー (雑誌) No.138 52頁 2014年10月号 八重洲出版 2014年8月26日発行
- ^ オートスポーツ No.525 45頁 三栄書房 1989年
- ^ スポーツ歴史の検証 最速へ踏み込むアクセル 星野一義 プロスポーツのカリスマたち 笹川スポーツ財団
- ^ ベストモータリングビデオスペシャル Vol.17 黒沢元治のドラテク特訓道場PART2
- ^ BOSS TALKING KEKE ROSBERG F1グランプリ特集 Vol.057 20-21頁 ソニーマガジンズ 1993年3月16日発行
- ^ Racing on 474, pp. 68–71.
- ^ 星野選手のカバン持ち時代 クリッカー 2019年5月14日
- ^ Racing on 474, pp. 40–43.
- ^ 星野一義がマッチを特訓 3万5400人の観客動員力には脱帽 オートスポーツ400号記念臨時増刊 ザ・タイムトンネル・サーキット 6-7頁 三栄書房 1984年9月30日発行
- ^ Newヘルメット‼️ 星野一樹オフシャルブログ 2015年3月12日
- ^ 星野一義&ホリデーオート、40年の軌跡 ホリデーオート編集部 2017年4月27日
- ^ 星野一義の一日に密着したリアルドキュメント 当時のレース業界を震撼させた超問題記事 稲田大二郎 web Option 2022年2月4日
- ^ Racing on 480, p. 15.
- ^ 恐れていた結末 全日本F3000第10戦富士 Racing On No.110 68頁 武集書房 1991年12月15日発行
- ^ 夢ではなく、必然だった。日本で頂点を極めた本山哲のF1挑戦【F1“テスト”経験者の追憶】 Motorsport.com 2022年8月4日
- ^ 舘信秀×星野一義×近藤真彦スーパーフォーミュラ監督対談 前編(3/3) トヨタGAZOO Racing 2014年8月7日
- ^ 星野一義と中嶋悟がふたたびF1ドライブ“初対決”のマシンでデモラン オートスポーツweb 2018年1月23日
- ^ 「日本一速い男」が50年越しの夢・ロードレーサーに挑戦 Clicccar.com 2017年3月17日
- ^ “星野一義とホンダRC166が夢の競演!【モータースポーツファン感謝デー】in鈴鹿サーキット”. webモーターマガジン (2017年3月10日). 2018年1月24日閲覧。
映像資料
- ^ 日本一速い男 星野一義 IMPUL AURAでクルマ感が変わる(7分30秒付近~). ホシノインパル 全開魂. 24 August 2022.
- ^ 【マサタイムズ】星野一義・一樹親子 後編~ホシノインパル~. auto sport SUB Channel. 10 October 2020.
- ^ 星野一義×鈴木亜久里 『グループC』を語る!. 鈴鹿サーキット. 11 August 2022.
星野一義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 16:20 UTC 版)
史実どおりシーズン最終戦の日本グランプリに、国産F1であるKE009でスポット参戦する。
※この「星野一義」の解説は、「赤いペガサス」の解説の一部です。
「星野一義」を含む「赤いペガサス」の記事については、「赤いペガサス」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 星野一義のページへのリンク