メトロ劇場
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メトロ劇場(メトロげきじょう)は、福井県福井市順化にある映画館(ミニシアター)[1]。飲食店やスナックなどが入居する商業ビル「メトロ会館」4階にある[2]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f “老舗映画館メトロ劇場が改修、刷新へ 福井県内外にファン、音響にこだわり”. 福井新聞ONLINE. (2021年2月2日). オリジナルの2021年2月3日時点におけるアーカイブ。 2021年7月19日閲覧。
- ^ a b “映画パラサイト上映、老舗の手腕 メトロ劇場、1年前から作品着目”. 福井新聞ONLINE. (2020年2月23日). オリジナルの2020年10月1日時点におけるアーカイブ。 2021年7月19日閲覧。
- ^ a b c d “福井のミニシアター、コロナ禍の苦境 イベント集客図る”. 朝日新聞デジタル. (2021年6月11日). オリジナルの2021年6月11日時点におけるアーカイブ。 2021年7月19日閲覧。
- ^ 「エビス顏の映画館 商店街は背負い投げ食った形 旧正月の表情」『福井新聞』1950年2月2日、2面。
- ^ a b c d e 館主さんを訪ねて 第22回「メトロ劇場」 日本映画映像文化振興センター
- ^ a b c d e f g h i メトロ劇場 港町キネマ通り
- ^ a b c d 「この人に聞く メトロ劇場館主・根岸義明さん」『朝日新聞』2013年2月13日[要ページ番号]
- ^ a b c 『新修福井市史 市政80年福井市政史 II』福井市、1976年9月1日、730頁。
- ^ a b 「HP開設や情報紙 映画館が新サービス 福井のメトロ会館など 駐車場の割引も」『中日新聞』2000年2月7日[要ページ番号]
- ^ a b c d 「『映画の未来へ』単館奮闘 福井『メトロ劇場』館主・根岸さん」『朝日新聞』2019年1月30日[要ページ番号]
- ^ a b c 「ふくい時の人 映画館『メトロ劇場』の館主 根岸義明さん(64)=福井市 考える材料届けたい」『中日新聞』2012年8月19日[要ページ番号]
- 1 メトロ劇場とは
- 2 メトロ劇場の概要
- 3 基礎情報
メトロ劇場(1953-)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 14:11 UTC 版)
「メトロ劇場」の記事における「メトロ劇場(1953-)」の解説
1953年(昭和28年)4月1日には日本劇場を引き継いでメトロ劇場が開館した。当時は木造2階建てであり、座席数は500席を有していた。当時の福井市内には8館の映画館があり、メトロ劇場は洋画ロードショー館として開館したが、その後成人映画のロードショー館に移行した。 1971年(昭和46年)春には、のちに3代目館主となる根岸義明がメトロ劇場の仕事を手伝うようになった。この時期に木造2階建ての建物を取り壊し、現在も使用されている鉄筋コンクリート造4階建てのビルが建てられた。1973年(昭和48年)頃にはロードショー公開を終えた作品を上映する名画座(二番館)に転向。 1997年(平成9年)8月には改装を行い、126席を117席に減らし、前方には2人掛けのソファー席を設置した。この改装時からはアート系作品を主とするミニシアターとなった。2000年(平成12年)にはチラシ以外の手段で上映作品を紹介するために公式ウェブサイトを開設した。2013年(平成25年)には開館60周年を迎えた。 2016年(平成28年)には根岸義明が死去し、根岸輝尚が4代目館主となった。根岸輝尚は東京でシステムエンジニアとして働きながら、東京と福井市を往復してメトロ劇場の経営を行っており、自身はメトロ劇場の経営で収入を得ていない。
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