マウント・ロー鉄道とは? わかりやすく解説

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マウント・ロー鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 03:21 UTC 版)

タデウス・ロー」の記事における「マウント・ロー鉄道」の解説

パサデナ設立から間もない時期市民サンガブリエル山脈頂上に至る見晴らし良い山岳鉄道夢みていた。その夢に対して具体的な計画持っていた内の一人に、コーネル大学卒の土木技師デイビッド・J・マクファーソンがおり、その計画ローの持つ資金とを結びつけて事業化するために、マクファーソンローに引き合わされた。 1891年ローマクファーソンはパサデナ・アンド・マウントウィルソン鉄道(後のマウント・ロー鉄道)を共同設立したウィルソン山に至る経路すべての権利獲得できなかったため、彼らはエコー山の高台経由してオーク山に至る経路計画変更した。彼らの鉄道と他の似たような観光目的山岳鉄道との違いは、すべての区間電気駆動トロリー走ったことであり、同鉄道唯一の事例である。オーク山は後にロー山(マウント・ロー)と改名され、アルタデナに移転してきていたシカゴ地図出版者アンドリュー・マクナリー(ランドマクナリー共同創設者)がその地図全てにマウント・ローの名前を入れることで正式のものとなったロー最初鉄道区間として、まずアルタデナのレイク通りとカラベラス通り交差点からルビオ・キャニオンのルビオ・パビリオンまでをつなぎ、そこから全長2,800フィート (853.44 m) のケーブルカーへと乗り換えてエコー山に至るまでの経路1893年7月4日開業したエコー山の頂上には40室のシャレー山小屋)があった。1894年には、ロー80室のホテル「エコーマウンテンハウス」と天文台追加した1896年までに同山のグランド・キャニオン位置する宿泊施設「イエ・アルパイン・タバン」までをつなぐ上部区間完成した。これら全て合わせた鉄道全長は7マイル (11.265 km) となった1899年ロー破産管財人管理下に置かれることとなってこの事業失い資産使い果した1902年、マウント・ロー鉄道はヘンリー・ハンティントンがその頃設立したパシフィック電鉄レッド・カーとも呼ばれた)の一部となった 鉄道所有物件の内でロー資産として唯一残ったのは、エコー山の天文台だった。そこには16インチ (406.4 mm) の反射望遠鏡があり、多く天文学的発見なされた。この天文台1928年強風倒壊した鉄道次に述べるように段階的に破壊されていった1900年2月4日には「エコーマウンテンハウス」が台所からの失火失われ1905年には強風煽られ山火事により、天文台および天文学者のための小屋以外のあらゆる物が消失した1909年のルビオ・キャニオンの鉄砲水はルビオ・パビリオンを破壊した1936年には電気による失火で「イエ・アルパイン・タバン」が壊滅した鉄道1938年ロサンジェルス大洪水の後、放棄された。

※この「マウント・ロー鉄道」の解説は、「タデウス・ロー」の解説の一部です。
「マウント・ロー鉄道」を含む「タデウス・ロー」の記事については、「タデウス・ロー」の概要を参照ください。

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