ポントス王国とは? わかりやすく解説

ポントス王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 17:02 UTC 版)

ポントス」の記事における「ポントス王国」の解説

ポントス王国(紀元前281年 - 紀元前64年)は現在のクズルウルマク川発祥の地となり、当初アケメネス朝ペルシア)の属国的な位置づけにあったペルシア系王朝として、ミュシアMysiaにあったギリシア都市キウスを治めていたアリオバルザネス1世ミトリダテス2世初期の王として知られるディアドコイ戦争ではアンティゴノス1世服属するが、アンティゴノス戦死により、ミトリダテス2世紀元前281年ポントスミトリダテス1世称して独立した肥沃な土地面し穀物などが豊富に取れ鉱物資源も豊かであり結果的に、ポントス王国は強大な国家へと変化していく。 ファルナケス1世の頃近隣諸国進出しスィノプ占領し以後この都市王国首都となったが、同じヘレニズム系の国家であったアンティゴノス朝マケドニアアッタロス朝ペルガモン王国共和政ローマ併合されセレウコス朝プトレマイオス朝衰退する中で、ポントス王国もローマ圧力直面することとなった紀元前120年即位したミトリダテス6世は、コルキスボスポロス王国服属させ、スキタイ人破って黒海沿岸制覇した。更にローマ属国であったビテュニアカッパドキアへの侵略及んだことから、ローマはこれを口実としてミトリダテス戦争状態に突入した紀元前88年から3次にわたるミトリダテス戦争でポントス王国は敗北喫した紀元前63年ミトリダテス息子ファルナケスミトリダテス自殺追い込みローマ降伏したことでミトリダテス戦争終結したローマ軍司令官グナエウス・ポンペイウスファルナケス後継ポントス王に任命した

※この「ポントス王国」の解説は、「ポントス」の解説の一部です。
「ポントス王国」を含む「ポントス」の記事については、「ポントス」の概要を参照ください。

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