ホームレス生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 09:21 UTC 版)
「クリス・ガードナー」の記事における「ホームレス生活」の解説
1977年、ある女性と結婚したが、結婚に対する態度の違いや、ガードナーの浮気によって浮気相手の妊娠が発覚し、離婚。81年息子のクリス・ジュニアが誕生した。この間は医療器具販売の仕事をしていた。またこのころ、息子にガードナーの実父について尋ねられたことがきっかけで、子、父、祖父の三者が対面している。彼は実業界での大成を夢見てサンフランシスコに移り、そこで文句のない着こなしでフェラーリを乗りまわしていた男性に職業を尋ねた。その男性は株取引でもうけたと述べ、これを機にガードナーの行く道は定まった。同じころ、有名バスケットボール選手であるマイケル・ジョーダンから黒のフェラーリを購入(余談だが、ナンバープレートに「NOT MJ(マイケル・ジョーダンではない)」と銘打ってあるらしい)。前述の裕福な男性による手ほどきで証券取引会社の顧問との接見などをした。そこで彼は仲買業の学習に専念するため医療器具のセールス業を辞め、株式仲買業、ディーン社のインターンシップに申し込み、訓練プログラムに参加することになった。しかし、彼を受け入れた人物が解雇されたためプログラムに参加することができなくなってしまった。さらに悪いことに、交際相手が息子クリス・ジュニアを連れて彼のもとを去り、また駐車違反の罰金1200ドルを払うことができなかったために収監されもした。収監後にアパートメントに戻るとそこは家具から衣類までなくなっており、蛻の殻だった。その後、ディーン社のトレーニングプログラムを受けることになったが、生活費を捻出することができなくなってしまった。ガードナーはディーン社の首席研修生となるために懸命に働き、具体的には一日200本の電話をかけるという目標を掲げ、あくる日も朝早くから夜遅くまで働きづめ、有望な顧客に連絡をとったという。1982年、彼の類いまれな努力が実ってディーン社の正規社員として雇われることになった。しばらくしてサンフランシスコの会社に移っている。交際相手が去って4ヵ月後、彼女が現われ、息子を置いて再び去り、彼は父子家庭の道を受け入れる。息子を引き取ってからはホームレスとして暮らしていくことになる。この間、周囲の者(ガードナーの同僚)たちにはホームレス生活をしていることを明かさなかったが、周囲は気付いていたようである。また子供を託児所の中に紛れ込ませたり、子供の身を案じて港湾地域の駅トイレに泊まったこともあるという。しかし、結局は子供の幸福を考慮して本来はホームレス女性限定である教会の宿泊施設に頼んで受け入れてもらうなどした。
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