ホロ島への進出
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「独立歩兵第363大隊 (日本軍)」の記事における「ホロ島への進出」の解説
昭和19年8月23日、大隊はカバナツアン一帯の警備を歩兵第33連隊に交代し、9月1日にマニラに集結した。そして同6日、輸送船慶安丸に乗船し、スールー諸島のホロ島を目指してマニラ港を出港した。しかし12日、慶安丸はセブ島東方海上で敵戦爆連合編隊の急襲を受けて撃沈され、将兵は泳いでセブ島リロアン海岸に上陸した。 その後、笠井大隊長はセブ島で第35軍司令部に状況報告を行い、参謀長の友近美晴少将から「ホロ島は連合艦隊の仮泊地になる大事な島であるから、玉砕を急がず、持久するように」との訓示を受けた。大隊はリロアン貨物廠で兵器・弾薬・糧秣の再装備を行った後、10月2日に陸軍機動艇でセブ島を出港し、同4日に無事ホロ島に到着した。
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ホロ島への進出
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「独立歩兵第365大隊 (日本軍)」の記事における「ホロ島への進出」の解説
9月6日、旅団主力将兵は輸送船慶安丸に乗船し、スールー諸島のホロ島を目指してマニラ港を出港した。しかし同12日、慶安丸はセブ島東方海上で敵戦爆連合編隊の急襲を受けて撃沈され、将兵は泳いでセブ島リロアン海岸に上陸した。その後、旅団はセブ島でも空襲で大きな被害を蒙り、同地で再建の後、10月2日にセブ島を出港し、同4日に無事ホロ島に到着した。
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ホロ島への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/25 01:43 UTC 版)
「独立混成第55旅団 (日本軍)」の記事における「ホロ島への進出」の解説
ルソン島の守備を重視し、増派兵団のさらなる前送に否定的だった第14方面軍司令官・黒田重徳中将の下で、旅団はしばらくルソン島で陣地構築に従事したが、米軍のハルマヘラ方面への来攻が本格的に予想されるようになった8月下旬、南方軍から第14方面軍への強い指導により、旅団主力はスールー諸島のホロ島に、1個大隊はミンダナオ島ザンボアンガに進出することとなった。そして、ルソン島中部に分駐したばかりの旅団は、再度マニラへの集結を命ぜられ、9月6日、旅団主力は輸送船慶安丸に乗船しマニラを出港した。しかし同12日、慶安丸はセブ島東方海上で敵戦爆連合編隊の急襲を受けて撃沈され、将兵は泳いでセブ島リロアン海岸に上陸した。その後、旅団はセブ島でも空襲により多大な被害を受け、9月末時点でも旅団全部がセブ島で再編中だった。 しかし10月1日、旅団はホロ島への前進を命じられ、独立歩兵第364大隊を除く旅団主力は同2日にセブ島を出発、4日に無事ホロ島に到着した。一方、第364大隊は、ホロ島に向かう旅団主力から分離し、ミンダナオ島ザンボアンガに転進予定の独立混成第54旅団に配属されて、同島北部のミサミス地峡に進出することになった。ミンダナオ島に渡航するための船舶の都合がつかず、大隊は10月下旬までセブ島で待機し続けていたが、10月20日、米軍がレイテ島への上陸を開始した。このため、大隊は急きょレイテ島の戦いに投入されることとなり、第102師団、歩兵第41連隊などの部隊とともにレイテ島北部の山岳地帯で敢闘したが、その後玉砕した(詳細は独立歩兵第364大隊の項目を参照)。
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