プロ入り - ブルワーズ時代 (1986 - 1996)
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「グレッグ・ボーン」の記事における「プロ入り - ブルワーズ時代 (1986 - 1996)」の解説
プロ入りまでに4度ドラフトで指名され、5度目の指名でプロ入りした。まず1984年には、1月17日にセントルイス・カーディナルスからドラフト5巡目、次いで6月4日にミルウォーキー・ブルワーズから二次ドラフト4巡目で指名されたが、いずれも契約せず。そして翌1985年は、1月3日にピッツバーグ・パイレーツから1巡目 (全体19位) 、6月3日にカリフォルニア・エンゼルスから二次ドラフト3巡目で指名されたが、この年も契約しなかった。 そして、1986年6月2日にブルワーズから二次ドラフト1巡目 (全体4位) で指名され、6月13日に契約を結んだ。プロ入り後、マイナーリーグのルーキー級のヘレナ・ゴールドソックス(英語版)に配属され、66試合に出場。打撃面では、打率.291・16本塁打・54打点・23盗塁・OPS0.905という成績を残した。また、守備面では外野手として63試合で守りに就き、3失策・守備率.972という成績だった。 1987年は、A級のベロイト・ブルワーズ(英語版)に昇格し、139試合に出場。打率.305・33本塁打・105打点・36盗塁・OPS1.018という成績を残し、本塁打は同年のミッドウェストリーグで最多だった。守備面では、135試合の外野守備で10失策・守備率.963だった。 1988年は、AA級のエルパソ・ディアブロスで131試合に出場し、打率.301・28本塁打・105打点・22盗塁・OPS0.932という打撃成績を記録。2年連続で打率.300・25本塁打・100打点・20盗塁のラインを、全てクリアした。守備では115試合で外野守備に就いて、7失策・守備率.970だった。 1989年8月10日のクリーブランド・インディアンス戦で、メジャーデビューを果たした。デビュー戦では代走として出場し、バッターボックスに入る機会はなかった。この年は最終的に38試合に出場し、打率.265・5本塁打・23打点・4盗塁・OPS0.761という成績を残した。守備では23試合でレフトを守り、2失策・守備率.946という成績を残した。また、マイナーではAAA級のデンバー・ゼファーズ(英語版)で110試合に出場し、打率.276・26本塁打・92打点・20盗塁・OPS0.923という成績を残した。 1990年は、120試合に出場して打率.220・17本塁打・61打点・7盗塁・OPS0.712という打撃成績を記録。守備面では、106試合でレフトを守り、7失策・守備率.966という成績を残した。 1991年は、145試合の出場で打率.244・27本塁打・98打点・2盗塁・OPS0.774という成績を残した。また、守備面では、135試合でレフトを守って2失策・守備率.994を記録したほか、メジャーで初めてライトの守備にも就いた (1試合) 。 1992年は141試合に出場し、打率.228・23本塁打・78打点・15盗塁・OPS0.723という成績を記録。メジャーでのシーズンで初めて2ケタ盗塁を決めたが、一方で盗塁死も15あり、成功率は50%だった。守備では、レフトを131試合で守って3失策・守備率.990という成績を残した。 1993年は、前半戦で打率.308・19本塁打・68打点・8盗塁・OPS0.940という成績を記録。初めてオールスターに選出され、ヒットを1本放った。同年、最終的には154試合に出場し、打率.267・30本塁打・97打点・10盗塁・OPS0.850という成績を残した。守備面では、94試合でレフトを守り、3失策・守備率.986という成績を記録。また、指名打者としても58試合に出場した。 1994年は、95試合の出場で打率.254・19本塁打・55打点・9盗塁・OPS0.824という打撃成績を記録。守備では81試合でレフトを守った以外に、1試合だけセンターの守りにも就いた。 1995年は108試合に出場し、打率.224・17本塁打・59打点・10盗塁・OPS0.725という成績を残した。また、メジャーデビュー後では初めて守備に就く機会がなかった。前年と同年は、右肩の故障に見舞われたことで、成績が低下した。 1996年は、3年ぶり2度目のオールスターに選出されたが、試合には出場しなかった。同年は7月末までに102試合に出場し、打率.280・31本塁打・95打点・5盗塁・OPS0.948という成績を残していた。
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