プリンスルパート市誕生後
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「プリンスルパート」の記事における「プリンスルパート市誕生後」の解説
1910年3月10日、プリンスルパート市が誕生した。1910年5月19日には、初めての市選挙が行われた。市長はアルフレッド・ストーク(英語版)が選出された。 1912年には、「カナダフィッシュ&コールド貯蔵所」が開業し、1915年にはグランドトランク太平洋鉄道によって、造船所が建設された。どちらも、その後1954年までカナダ国営鉄道の管理下に置かれた。1912年4月15日のタイタニック号沈没により亡くなったチャールズ・ヘイズが望んでいた直通列車が、1914年4月9日にウィニペグから初めて到着した。 第二次世界大戦の頃は、プリンスルパートが戦略上有利な位置にあるため、人口が2万1000人まで増えた。プリンスルパート港はアメリカ軍の物資や補給品などの積み込みに使われた。1944年3月16日には、国を防備するためのスキーナハイウェイ (Skeena Highway) が開通した。 戦後、経済は衰退したが、1951年にはパルプ製造場が建設され、約50年間プリンスルパートの経済に貢献した。 1967年6月、日本の練習船「海王丸」がプリンスルパートに寄港したことにより、日本への関心が深まり、1968年9月に尾鷲市と姉妹都市提携をした。1977年にはリドリー島に石炭や穀物のためのターミナルが開かれ、1980年にはフェアビューターミナルが開かれた。その後、2004年には客船の船渠が建設された。
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