ブードローシフト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:32 UTC 版)
「シフト (野球)」の記事における「ブードローシフト」の解説
ブードローシフトとは引っ張り打ちの多い、いわゆるプルヒッターに対して、あらかじめ引っ張りの方向(右打者ならレフト方向、左打者ならライト方向)に守備位置を寄せるシフトである。1946年7月14日に行われたメジャーリーグベースボールのクリーブランド・インディアンス対ボストン・レッドソックス戦において、プルヒッターの強打者であったレッドソックスの主砲テッド・ウィリアムズを抑えるためにインディアンスのルー・ブードローが考案したものが最初とされる。「ブードローシフト」の他に「テッド・ウィリアムズ・シフト」、「プルヒッターズ・シフト」、「オーバー・シフト」と呼ばれる場合もある。 日本では左打者の王貞治が類似のシフトを敷かれたため、「王シフト」という名称で呼ばれた。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}右打ちの多かった右打者の広瀬哲朗(元日本ハムファイターズ)に対し、これに近いシフトが取られたことがある[要出典]。ただしMLBに比べて打球方向の極端な打者が少ない日本では、このようなシフトはあまり浸透していない。 三塁手に比べ一塁手は一塁ベースカバーの必要性から守備位置に制限があるため、現在は左打ちのプルヒッターにこのシフトが敷かれることが多く、右打ちのプルヒッターに用いられることは少ない。フィールディング・バイブルの著者ジョン・デュワンは左打者なら右方向への打球が80%以上を占める選手、右打者なら左方向への打球が85%以上を占める選手に対してはブードローシフトを適用すべきだと主張している。タンパベイ・レイズのジョー・マッドン監督はこの意見に同調しており、右打者へのブードローシフトを敬遠する傾向を「時代遅れ」として批判している。他に右打ちのプルヒッターにブードローシフトを用いる監督はミルウォーキー・ブルワーズのロン・レニキー監督と、テキサス・レンジャーズのロン・ワシントン監督がいる。 なお、このシフトを敷くと必然的に内野手がベースカバーに入るのが遅れるため、走者がいて盗塁を警戒しなければならない場面では使いづらい。また、逆方向にセーフティバントされた場合にはファウルにならない限りほぼ確実に内野安打を許してしまう。特に外野手も引っ張り方向に寄せているなどの悪い条件が重なった時には二塁打を許すことさえあるため、そうした戦術を積極的に用いる選手やチーム相手には向かない(ジェイソン・ジアンビもこのシフトによって成績が低下した翌年、意識して流し打ちやセーフティバントをすることでシフトを封じたことがある)。
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ブードロー・シフト
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「ルー・ブードロー」の記事における「ブードロー・シフト」の解説
1946年7月14日、監督兼遊撃手として出場したレッドソックスとのダブルヘッダー第2試合、左打ちの強打者テッド・ウィリアムズの第2打席にて、自軍の守備陣に投手・捕手・三塁手・左翼手以外の野手がフィールドの右側に移動するという変則守備シフトを指示した。このシフトは後に「ブードロー・シフト」と呼ばれるようになる。 ウィリアムズはその前の第1試合で3本塁打を放っており、プルヒッターであった彼をどうにかして抑え込もうとしたブードロー苦心の作戦だった。日本でも対王貞治守備シフトとされる王シフトの原型は、このブードロー・シフトとされる。 他球団も追随したため、ウィリアムズは一時は三塁線にセーフティバントを試みたりがら空きの左翼を狙ったりしたが、ファンからブーイングを浴び、すぐに引っ張りの打撃に戻したという。
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