ファティマのイコンとは? わかりやすく解説

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ファティマのイコン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 18:26 UTC 版)

カザンの生神女」の記事における「ファティマのイコン」の解説

1917年のロシア革命ののち、実はオリジナルイコンサンクトペテルブルクにあるのではないかという憶測飛んだ伝えられるところでは、イコン画カザンの生神女」は、レニングラード包囲戦の間、要塞都市各所十字行をする際に用いられたのだという。またそうではなくボリシェヴィキによって国外売却されたのだという主張もあった。これらの説をロシア正教会認めていないが、オリジナル評される現存イコンはいくつかあり、そのうち一枚は「ファティマの聖母青色軍」(en) が1970年入手しポルトガルファティマ安置した1993年、ファティマのイコンは法王ヨハネ・パウロ2世へと献上された。彼はそれをバチカンに置き、自分執務室掲げた法王はそこで11年間、イコン崇めることができたのである彼の言葉によれば、そこは「まるで我が家のような感覚だった。母性にみちた眼差しが私の日々キリストへの勤めかたわらにあった」。ヨハネ・パウロ2世は、イコンを手に、モスクワカザン訪ね、それを以ってロシア正教会イコン返したことにすることを望んでいた。モスクワ総主教そのような骨折りを断わったところ、2004年8月以ってイコンロシア正教会無条件贈呈されることになった同年8月26日あらためサン・ピエトロ大聖堂展示され崇められてのち、モスクワへ輸送された。2005年聖なるイコン定められ祭日である7月21日に、モスクワ総主教アレクシイ2世タタールスタン共和国大統領であるミンチメル・シャイミーエフが、カザン・クレムリン生神女福音大聖堂置いた。 このイコンは、十字架挙栄教会納められている。オリジナルカザンの生神女発見され土地である。現在、このイコン発見された地にある修道院世界的な巡礼地とする計画進行中である。

※この「ファティマのイコン」の解説は、「カザンの生神女」の解説の一部です。
「ファティマのイコン」を含む「カザンの生神女」の記事については、「カザンの生神女」の概要を参照ください。

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