ビラ字
寄席文字
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/02 00:47 UTC 版)
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j 小野(2004)p.40
- ^ 江戸美学研究会. “江戸文字の魅力2 寄席文字”. 2014年3月4日閲覧。
- ^ このサンプルでは、「文」が実際の寄席文字より簡略化されている。
- ^ a b c “橘流寄席文字と橘右近”. 2014年3月4日閲覧。
- ^ a b 橘右近・橘左近「子弟対談右往左往(1)」『落語』第5号(1980年夏号)、弘文出版。
- ^ 春風亭正朝 (2006年3月6日). “招木(まねき)”. 正朝通信. livedoor blog. 2019年9月2日閲覧。
- ^ 橘右橘・荒井三鯉・中村真規(@ukitsu_sanri) (2019年8月26日). “明日は一般社団法人落語協会の四人真打披露宴。”. twitter. 2019年9月2日閲覧。 “長らくやって来た橘流一門からの招木贈呈がなくなって初。”
ビラ字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 06:47 UTC 版)
江戸では寄席興行の本格化がみられる寛政年間(1789年 - 1801年)、寄席に客を集めるための広告(現代風に言えば寄席宣伝ポスター)である寄席ビラが生まれた。当初寄席ビラは、一般的な普通の書体で書かれていたが、天保7 - 8年(1836年 - 1837年)頃、神田豊島町(現在の千代田区岩本町)藁店(わらだな)に住む紺屋の職人、栄次郎が、それまで提灯や半纏などに使われてきた字体と歌舞伎で用いられていた勘亭流の字体とを折衷して編み出したのが「ビラ字」だといわれている。江戸時代末期から明治時代にかけて寄席専門の職人(ビラ屋)も繁盛し、なかでも「ビラ清」「ビラ辰」といった名人が手がけたビラは、意匠的にも凝った極彩色の木版ビラとして好評を博した。 ビラ字は、少しでも多くの客が寄席に集まって大入になるように縁起をかつぎ、字を詰まり気味に配し、隙間が最小限になるよう(空席がなるべく少なくなるよう)、また、なるべく右肩上がりになるよう書かれるのを特徴としている。
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