ヒトラーとの結婚と心中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 06:33 UTC 版)
「エヴァ・ブラウン」の記事における「ヒトラーとの結婚と心中」の解説
「総統地下壕」、「アドルフ・ヒトラーの死」、および「アドルフ・ヒトラーの遺書(英語版、ドイツ語版)」も参照 1945年3月、エヴァはヒトラーの反対を押し切ってベルクホーフを後にしてミュンヘンへ移り、4月初旬、既に戦火に曝され、荒廃した首都ベルリンへ入るが、4月中旬には総統地下壕へと避難せざるを得なくなる。両親や姉妹が再三ベルリンを離れるよう説いても、エヴァは最後までヒトラーと共にいることを選んだ。 ソ連内務人民委員部によるヒトラー側近の調書によれば、エヴァは「奇跡が起こらなければ、死が最後の逃げ道になるでしょう。そのときには法的な妻としてあの方と一緒に死ぬことを、わたしは心から望んでいます。」と発言したという。 総統誕生日の4月20日、赤軍がベルリンに侵攻。ヒトラーとエヴァは4月29日未明に総統官邸地下壕内で簡素な手続きによって結婚した。この結婚式ではヨーゼフ・ゲッベルス夫妻とマルティン・ボルマンが立会人をつとめた。式にあたり、エヴァは青色のシルクドレスを着けていたとされる。彼女は結婚証明書の署名欄に「Eva B…」と書きかけたが、すぐに気がついて線を引いて訂正、「Eva Hitler」と書き直した。 ヒトラー自身はエヴァを「フロイライン・ブラウン(ブラウン嬢)」と呼んでいた。式の後、地下壕の者たちが「フロイライン」と呼びかけたところ、エヴァは誇らしげに「もう、フラウ・ヒトラー(ヒトラー夫人)と呼んでくれていいのよ」と言ったという。 翌30日午後3時30分頃、エヴァは青酸カリのカプセルを嚥下して服毒自殺、ヒトラーは銃弾の貫通痕から、青酸カリのカプセルを噛んだ直後、顎の下から拳銃で頭を撃ち抜いて死んだと推察されている。2人の遺体は総統官邸の庭園で、ガソリンをかけた上で焼却された。
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