ヒカシュー
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ヒカシュー(HIKASHU)は、日本のバンド。日本におけるテクノポップ黎明期の1970年代末から活躍し、P-MODEL、プラスチックスとともに「テクノ御三家」と呼ばれた[1]。初期以降はテクノポップの枠にとどまらず、前衛音楽や前衛ロック、フリージャズの分野へと開拓していった。
- ^ “プラスチックスの『WELCOME PLASTICS』が示したものは、それまで世界になかったバンドグルーブ”. OKMusic. OKWAVE (2016年5月11日). 2018年12月5日閲覧。
- ^ 京浜兄弟社『ヒカシュー+2』(CDライナーノーツ)ヒカシュー、東芝EMI、1989年。CT25-5571。
- ^ 巻上公一「<ヒカ>を拝借」(『音楽の手帖 武満徹』青土社1981年、12-14頁)
- ^ 株式会社ワークルーム (2021年4月22日). “【インタビュー】巻上公一 ヴォーカリスト(ヒカシュー) その3/6”. 花形文化通信. 2022年1月12日閲覧。
- ^ “水曜日のカンパネラ、ヒカシューからの要請を受けて曲名変更”. 音楽ナタリー (2016年5月9日). 2016年5月9日閲覧。
- ^ ヒカシューのmember - makigami.com、2022/1/16閲覧。
- ^ 京浜兄弟社『夏+2』(CDライナーノーツ)ヒカシュー、東芝EMI、1989年。CT25-5572。
- ^ ヒカシューのニューシングルは10年モノの熟成ソング - 音楽ナタリー 2021/11/12閲覧。
- ^ 巻上公一のツイート - Twitter 2021/11/18 閲覧。
ヒカシュー
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1977年8月、巻上公一がプロデュースする演劇の音楽を担当した井上誠と山下康によって結成された。そこへ逆瀬川健治、若林忠宏ら民族楽器演奏家が加わり、エレクトロニクスとエスニックの共存する即興演奏集団として8ヶ月間活動する。この時期の記録音源は後にPRE HIKASHU名義でCD化された。 1978年7月には井上、山下以外のメンバーと入れ替わりで巻上、海琳正道(三田超人)、戸辺哲がヒカシューに参加、この5人で同年9月よりテクノポップバンドのスタイルでライブ活動を開始した。 1979年には近田春夫のプロデュースによる1stシングル『20世紀の終わりに/ドロドロ』(東芝EMI)でメジャーデビュー。井上は1991年まで所属し、16枚のアルバム制作とコンサート活動に関わった。 ●井上の参加した主なLP、CD LP 1980年『ヒカシュー 』/東芝EMI(CD reissue有り) 1980年『夏』/東芝EMI(CD reissue有り) 1981年『うわさの人類』/東芝EMI(CD reissue有り) 1982年『民族の祭典』/東芝EMI(CD reissue有り) 1984年『私の愉しみ』/バルコニー(CD reissue有り) 1984年『水に流して』/日本ミュージカラー(CD reissue有り) 1984年『日本の笑顔』/スピノザ(CD reissue有り) 1985年『そばでよければ』/日本ミュージカラー(CD reissue有り) 1988年『人間の顔』/紅白レーベル(CD reissue有り) CD 1989年『ヒカシュー LIVE!』/パズリン 1990年『丁重なおもてなし』/バップ 1991年『はなうたはじめHumming soon』/バップ 1996年『ヒカシュー 1978』/東芝EMI 1998年『PRE HIKASHU』TRANSONIC(reissue:2002年) 1998年『PRE HIKASHU 1978年春
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