パナマ ‐ 逮捕、有罪判決そして釈放(2000年 ‐ 2004年)
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「ルイス・ポサダ・カリレス」の記事における「パナマ ‐ 逮捕、有罪判決そして釈放(2000年 ‐ 2004年)」の解説
2000年11月17日、パナマ市内で200ポンドの爆薬を所持している所を見つかり、1959年以来初めて同国を訪れていた、フィデル・カストロの暗殺未遂の容疑で逮捕。その際、マイアミのCANFに勤務していたハスパル・シメネスやペドロ・レモン・ロドリゲス、そしてカルロス・ムニス・バレラの3名の亡命キューバ人も逮捕された。カストロは、国際放送で計画の全貌を公表、ポサダを「良心の呵責が全く無い卑怯者」と評した。また、陰謀を画策したと伝えられるCANFも非難。その直後、ハバナ連続爆破事件で犠牲となったイタリア人の父親である、ジュスティノ・ディ・チェルモがキューバのテレビ番組に出演し、パナマ政府に対しポサダをキューバへ身柄を引き渡すよう主張した。ポサダは結局暗殺未遂容疑によりパナマで有罪判決を受け、投獄されることとなる。 2004年8月、ポサダのほか3名の受刑者が、退任するミレヤ・モスコソパナマ大統領により恩赦を受ける。アメリカのブッシュ政権と近しい関係にあったモスコソは、ポサダらを釈放するようアメリカ政府から圧力を受けたことを否定しており、アメリカ政府も関与を否定する声明を出した。 "(恩赦の)決定に際して外国の大統領から何ら圧力を受けていないし、ポサダらが国内に留まるようであれば、キューバなりベネズエラへ身柄が引き渡されるでしょう。" ミレヤ・モスコソパナマ大統領 モスコソの決定はマルティン・トリホス次期大統領から厳しい批判を受け、恩赦はやはり政治的な動機によるものではないかとする憶測が広まった。キューバ問題評論家のジュリア・E・スウェイグは「政治的外交的縁故主義の影が見え隠れする」と論評。また、パナマとフロリダの亡命キューバ系アメリカ人のコミュニティ間に横たわる事業的人的関係を持ち出し、ジェブ・ブッシュフロリダ州知事が釈放に一役買った可能性を仄めかしている。なお、恩赦決定が報じられた直後、ベネズエラとキューバはパナマと国交を断絶した。
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