パナマの攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 08:43 UTC 版)
「バーソロミュー・シャープ」の記事における「パナマの攻撃」の解説
シャープは1650年頃に英国で生まれ、第三次英蘭戦争で私掠船乗りとして活動した。シャープの海賊行為についてはバジル・リングローズという教養のある乗組員が書き残している。 1680年1月、ジャマイカのポートモラントから海賊の太平洋遠征隊が出航した。これらの遠征隊にはシャープのほかにジョン・コクソンやウィリアム・ダンピアのようなバッカニア、外科医のライオネル・ウェーファーらが含まれていた。一味はポルトベロの町を奇襲し、掠奪によって1人当たり100ピース・オブ・エイト(スペイン銀貨)(英語版)の分け前を得た。その後ボカス・デル・トロで傾船修理と水の補給を行い、当地でリチャード・ソーキンス(英語版)およびピーター・ハリス(英語版)の分遣隊と合流した。4月、一味はダリエン地峡に上陸し、途中で小さな町を掠奪しながら太平洋岸を目指して行進した。 太平洋岸に到着した一味は2隻のスペイン船を拿捕して乗っ取った。一味はそのままパナマへ針路を取り、海賊を迎え撃つために出港してきた3隻のスペイン軍艦と戦闘になった。一味は乱戦ののちにこれらの軍艦を乗っ取り、さらには碇泊していた大型軍艦ラ・サンティッシマ・トリニダード号をも拿捕してしまった。トリニダード号は海賊たちの旗艦となり、名前も英国風にトリニティ号と改名された。こうして大きな戦果をあげた一味であったが、いさかいが元でコクソンが離脱した。
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