パイクスピーク・ゴールドラッシュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/19 06:47 UTC 版)
「コロラド州の歴史」の記事における「パイクスピーク・ゴールドラッシュ」の解説
1849年と1850年、カリフォルニア・ゴールドラッシュに向かっていた金探求者数隊が当時はカンザス準州西部、現在はコロラド州北東部のロッキー山脈麓にある幾つかの水流で少量の砂金を発見した。当初金塊は金探求者の注意を引かなかったが、ロッキー山脈の金の噂が持続し、幾つかの小さな集団が地域を探検した。1857年夏、ニューメキシコ準州からのスペイン語を話す金探求者の1隊がチェリー・クリークより約5マイル (8 km)上流(現在はデンバー市近郷のオーバーランド・パーク)のサウスプラット川沿いで砂金を探した。 翌年、ジョージア州からウィリアム・グリーンベリー・"グリーン"・ラッセルがチェロキー族金探求者の1隊を率いサウスプラット川沿いで金を探した。1858年7月の第1週、グリーン・ラッセルはリトルドライ川河口近く(現在はイングルウッド)で小さな漂砂鉱床を見付け、これが約20トロイ・オンス (622 g)の金となって、ロッキー山脈地域では初めての重要な金の発見となった。 金発見の報せは瞬く間に広がりパイクスピーク・ゴールドラッシュを引き起こした。続く3年間に10万人以上と見られる金探求者が地域に群がり集まった。地域内の川や水流の漂砂鉱床は急速に無くなったが、坑夫達は間もなく近くの山地で遙かに貴重な金、銀、その他鉱物の鉱脈を発見した。
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