ハルのオーラルステートメントと松岡外相の更迭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:58 UTC 版)
「日米交渉」の記事における「ハルのオーラルステートメントと松岡外相の更迭」の解説
6月21日米国案のハル国務長官のオーラルステートメントには、不幸にして日本の指導者の中にドイツ支持者がいると指摘し、名指しこそしていないものの、松岡外相がいる限り交渉はまとまらないことを意味するくだりがあった。これを内閣改造を要求するものと受取った松岡は激怒し、オーラル・ステートメントを取り次いだ野村大使をも批判した 。 日本政府と軍部は独ソ戦への対応に追われたため、連絡懇談会で6月21日米国案の検討に着手したの7月10日のことであった。松岡は斎藤顧問を出席させ、「相呼応してほとんど全面的な日米交渉反対論」を展開したという。 松岡は米国の狙いを、 三国同盟を冷却させること 南京政府を抹殺し、日本に重慶政権が正当な中国政府であることを認めさせること 蔣介石への和平勧告及び日中和平交渉は、その基本条件を日本政府から米国政府へ提議させ、米国政府がこれを是認するという建前を誇示すること と結論づけ、そのうえで、オーラルステートメントの受理を峻拒すること、交渉を続けるなら5月の松岡修正案を堅持しつつ少許の米国案字句を取り入れるほかないが、これでは日米交渉の妥結の見込みはないこと、また交渉打ち切りの場合は時期および方法を慎重に考慮する必要があることを述べた。 7月12日の連絡懇談会においても、松岡は「吾輩はステートメントを拒否することと、対米交渉はこれ以上継続できぬことをここに提議する」と述べた。杉山元参謀総長は米国に断絶のような口吻をもらすのは適当ではない、交渉の余地を残してはどうかと松岡に意見したが、松岡はアメリカ人の性格から弱く出るとつけあがるから、この際強く出るべきだとはねつけた。 しかし、陸海軍は少なくとも仏印進駐終了までは対米交渉を引き伸ばすこととし、 日本は欧州戦争拡大の場合、三国条約上の義務および自国の安全防衛のため独自の立場をとること 日中和平の基本条件は近衛三原則を基準とし、アメリカは休戦及び和平交渉の勧告をするが、和平条件への介入は許されないこと 日本の南方武力行使が掣肘されないこと の3点を明確にするよう求めた。 もっとも、この3点は6月21日米国案で削除された項目であり、これらを復活させて交渉の余地を残すというのは互譲の精神に欠けたものであった。松岡は「何か余地がありますか、(ほかに)何を(譲歩に)入れますか」「南方に兵力を使用せぬというならば(米も)聞くだろうが、ほかのことで何か(譲歩が)あるか」「交渉を続けるならば(米から)蹴って蹴って蹴りのめされてから、はじめて交渉をやめるようになるだろう」と反発したが、会議の結論は、オーラルステートメントは拒否するが、交渉は松岡修正案を再修正して続行することに決まった。 日本の対案作成は連絡懇談会終了後から始まったが、陸海軍からの督促を松岡がサボタージュしたため、対案が完成したのは7月14日となった。しかも松岡は「まずオーラルステートメント拒否の訓電を発し、しかる後2、3日経ってから、日本の対案を発電すべき」と主張し、それではアメリカ側の悪感情を招き交渉が決裂する恐れがある、少なくとも拒否の訓電と日本の対案は同時に発電すべきとする近衛首相や陸海軍と対立した。 7月14日深夜、松岡は自説を固持してオーラルステートメントの撤回要求のみを打電させたが、翌15日の朝には近衛の意を受けた寺崎太郎アメリカ局長が、松岡に無断で日本案を追いかけて打電するなど事態は紛糾した。事ここに至り、関係閣僚は松岡では重大な外交問題は処理できないとの結論で一致し、16日、近衛は松岡を罷免させるため内閣を総辞職した。 7月17日、日本の要求に対してハルは簡単にオーラルステートメントを撤回した。しかし、この日の第3次近衛内閣発足で松岡は外相に登用されず英米派の豊田貞次郎がなったため、ハルの要求が結果として通った。近衛は豊田の外相就任を「日米交渉を何とかして成立せしめんとする余の熱意の表れ」としている。
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