ヌーヴェル・ヴァーグの父としてとは? わかりやすく解説

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ヌーヴェル・ヴァーグの父として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 00:36 UTC 版)

ロベルト・ロッセリーニ」の記事における「ヌーヴェル・ヴァーグの父として」の解説

ロッセリーニ作品多くは、公開当時イタリアで正当な評価得られなかった。後にネオレアリズモ映画金字塔として崇められている『無防備都市』ですら初めイタリアで無視されアメリカフランスで熱狂的に迎えられてから、ようやくイタリアで評価されだしたのだ。そうした意味では『無防備都市』や『イタリア旅行』はまさに「カルト映画中のカルト」だと言える。 『無防備都市』と『戦火のかなた』アメリカで大成功収めた。(『戦火のかなた』メジャーメトロ・ゴールドウィン・メイヤー配給)。だが、次のドイツ零年』を伝説的なプロデューサーサミュエル・ゴールドウィン見せるが、試写終わった後、「居心地の悪い沈黙ができた」だけだったその後バーグマン初のロッセリーニ映画ストロンボリ、神の土地』は、当時ハワード・ヒューズ買収したRKO資金援助製作された。だが、1950年2月5日全米300館で公開された『ストロンボリ、神の土地』は興行的に大失敗となった。こうして、ロッセリーニ後ろハリウッドの扉は閉ざされた。 「カイエ・デュ・シネマ」の初代編集長アンドレ・バザンの「ロッセリーニ擁護」という文章によると、イタリア批評家たちは、ネオレアリズモ退化は、すでに『ドイツ零年』に現れ、『ストロンボリ』と『神の道化師、フランチェスコ』から決定的になり、『ヨーロッパ一九五一年』と『イタリア旅行』で破局達した見なしたらしい。しかし、フランスではバザン始めとするトリュフォーら後にヌーヴェル・ヴァーグ作家となる若い批評家たちは、『ストロンボリ』や『神の道化師、フランチェスコ』『イタリア旅行』といった「呪われた映画」を断固支持した。そして、ロッセリーニは「フランスヌーヴェル・ヴァーグの父」と呼ばれた一つの例としてジャン=リュック・ゴダールは『イタリア旅行』を見て、1台の車と、男と女がいれば映画出来ることということ学び『勝手にしやがれ』1960年)を撮った証言している。また、トリュフォーは、子供の世界描いた大人は判ってくれない』は『ドイツ零年』に負うところが大きいと、明言している。 ヌーヴェル・ヴァーグ作家たちのロッセリーニ擁護は、ヌーヴェル・ヴァーグ夢中になった若き日ベルナルド・ベルトルッチ作品にも投影されている。ベルトリッチの初期自伝的な作品革命前夜』(1964年)で一人映画狂の青年登場し主人公に「君はロッセリーニなしに生きられるか」と問いかけるのだ。そして、この青年は『イタリア旅行』を15回も見たと言うイタリアでロッセリーニ真の後継者は、恐らくエルマンノ・オルミタヴィアーニ兄弟であろう1977年カンヌ国際映画祭タヴィアーニ兄弟『父 パードレ・パドローネ』グランプリ与えたその時審査委員長ロベルト・ロッセリーニだった。そのすぐの後の6月3日ロッセリーニ心臓発作死去した享年71

※この「ヌーヴェル・ヴァーグの父として」の解説は、「ロベルト・ロッセリーニ」の解説の一部です。
「ヌーヴェル・ヴァーグの父として」を含む「ロベルト・ロッセリーニ」の記事については、「ロベルト・ロッセリーニ」の概要を参照ください。

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