デモ概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 14:06 UTC 版)
「ナッシュビル座り込み」の記事における「デモ概要」の解説
ナッシュビルでの学生達が計画を実行する前に他の場所でも同様のことが行われていた。1960年2月第1週、重要な意味を持つノースカロライナ州グリーンズボロでのグリーンズボロ座り込みが開始され、3日目には学生達は80名にまで膨らんだ。類似の抗議活動は各地で行われていたが、グリーンズボロ座り込みは初めてメディアで大きく取り上げられ、人々の注目を集めることとなった。その後金曜日の夜にロウソン達が集まった時、さらに500名が自発的に集まった。ロウソンや大人達は延期を主張したが、学生のリーダー達は即時の行動を主張した。 1960年2月13日土曜日、最初の大型の座り込みが企画された。午後12時半頃、ほとんどが黒人の120名の学生達はダウンタウンのウールワース、S・H・クレス、マクレランに歩いて行き、ランチ・カウンターに座った。店員が彼らへの食事の供給を拒むと、2時間そこに座り込み、その後何事もなく去っていった。 最初の座り込みの後の月曜日、バプテストの79名の牧師の会議がナッシュビルで行なわれ、ナッシュビルには黒人信者の学生が多いことから、満場一致で学生達の支援をすることに決定。地元の宗教指導者達は、人種差別を実行しているダウンタウンの店舗に対する最も友好的な方法は不買運動であるとした。ナッシュビルの黒人コミュニティは店舗に経済的打撃を与えるため不買運動を強く推奨した。 2月18日、第2の座り込みが行なわれ、200名以上の学生達はウールワース、S・H・クレス、マクレラン、グラントに入店した途端、ランチ・カウンターは閉鎖された。学生達は30分ほど居座り、何事もなく立ち去った。2月20日、第3の座り込みが行なわれ、約350名の学生達は前述の4店舗とダウンタウンのドラッグストアのウォルグリーンに入店した。学生達がカウンターに座るとそれらのうちいくつかの店舗には白人の若者の人だかりができた。警察はこの5店舗に目を光らせていたが、暴力的なことは何も起こらなかった。ファースト・バプティスト教会での集会のために中断するまで3時間居座った。 翌週には他の都市にも座り込み抗議行動が広まり、チャタヌーガ近辺では人種暴動が起こり緊張が高まった。2月27日、ウールワース、マクレラン、ウォルグリーンで第4の座り込みを行なうと、白人の若者の群集が嘲り嫌がらせをしたが、警察は現れなかった。最終的にマクレランとウールワースで座り込み抗議者の何人かは妨害者達から攻撃を受けた。何人かは椅子から引き摺り下ろされ殴られ、ある座り込み抗議者は階段に突き落とされた。警察が到着した時、白人妨害者は逃走したため逮捕者は出なかった。警察は座り込み抗議者に3店舗から退去を命じ、抗議者が拒否すると逮捕されパトカーに押し込まれると傍観者は拍手を送った。81名の学生達が徘徊および治安紊乱行為で逮捕された。 この逮捕劇で座り込み抗議行動は全国放送のテレビ・ニュース、ナッシュビルの日刊新聞のトップ、AP通信で大きく取り上げられた。非暴力の様子が描写されたこともあり、一般的にメディアは学生達に有利に働いた。 その後2ヶ月座り込み抗議行動が行われ、さらなる逮捕者や座り込み抗議に反対し攻撃してくる者も増え、150名以上の学生達が逮捕された。座り込み抗議行動の間、非暴力は徹底して貫かれた。彼らの定めた行動規範は後に続く他都市のデモのモデルとなった。 嫌がらせを受けても反撃したり罵ったりしてはならない。笑い飛ばしたりしてはならない。店員と会話をしてはならない。リーダーの許可なくその場を離れてはならない。出入り口や店内の通路をふさいではならない。常に礼儀正しく友好的にすること。常にカウンターに向かいきちんと座ること。何か起こったら全てリーダーに報告すること。情報捜索者に関してリーダーに礼儀正しく報告すること。イエス・キリスト、マハトマ・ガンディー、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの教えを常に心に留めておくこと。愛と非暴力こそがこの方法である。
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