タイアップ路線の台頭とプロデューサーの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 21:22 UTC 版)
「日本の音楽雑誌」の記事における「タイアップ路線の台頭とプロデューサーの時代」の解説
1990年、レコード会社のビーイングはアニメ「ちびまる子ちゃん」のタイアップ曲「おどるポンポコリン」でデビューしたB.B.クィーンズが大ヒットし、その後も番組タイアップ路線を進めてビーイングブームを起こした。 1993年、林原めぐみや奥井雅美の所属するキングレコードの老舗アニソンレーベル「スターチャイルド」は広報誌「STARCHILDでございますぅ」を創刊した。1994年、ビーイング子会社のエムアールエムはフリーペーパーのMusic Freak Magazine (後のmusic freak Es) を創刊した。 また1990年代からは「プロデューサーの時代」になり、小林武史、小室哲哉、伊秩弘将、つんく♂などの音楽プロデューサーが台頭した。音楽プロデュースを行うテレビ番組が登場し、小室哲哉とつんく♂はテレビ東京のリアリティ番組「ASAYAN」でプロデュースを行った。 1992年、フジテレビはジャーナル (定期刊行物) を冠する音楽情報番組『MJ -MUSIC JOURNAL-』を始めた。また、1995年、フジテレビは小室哲哉の冠番組『TK MUSIC CLAMP』を「音楽の話しかしない番組」として始め、その番組で小室哲哉は他の有名アーティストとの音楽対談を行っていった。 そんな中、ロック雑誌のROCKIN'ON JAPANは売れず、ROCKIN'ON JAPANの編集者であった市川哲史はシンコーミュージックに引き抜かれて1993年に「音楽と人」を創刊した。その後、ROCKIN'ON JAPANは渋谷系を中心に取り上げるようになり、その後も独自路線を取ってROCKIN'ON JAPANの取り上げるアーティストは「ロキノン系」と呼ばれるようになった。
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