ビーイングブームとは?

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ビーイングブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/02/25 12:44 UTC 版)

ビーイングブームは、1990年代日本で発生した、ビーイング所属アーティストの楽曲がチャートの上位を独占した社会現象[1]

目次

黎明期

1986年TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」をヒットさせ、一定の認知度を得る。1987年TUBE織田哲郎周辺アーティストがスペシャルユニット渚のオールスターズとしても活動。

1990年初頭、フジテレビ系列の、毎週日曜日午後6時から6時30分にて放送が始まった『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマで、「おどるポンポコリン」が流れるやいなや、B.B.クイーンズとその楽曲が流行し、ミリオンセラーとなった。この時点ではビーイングブームとは言えず、B.B.クイーンズから派生したMi-Keを含めてもコミックバンドとして見られただけであり、ごく一部の非バンドブーム系の楽曲に過ぎなかった。また、B.B.クイーンズ、TUBE、織田哲郎周辺アーティストを指して、「渚のオールスターズファミリー」と呼ばれることがあった。

成長期

時に1992年秋、1990年の『イカすバンド天国』の放送終了後もしばらく続いたバンドブームにもいよいよ陰りが見え始めていた。前年秋頃から、バンドブームの立役者であったプリンセスプリンセスリンドバーグが徐々にヒット曲を出せなくなり、またそれらアーティストの楽曲は徐々に歌謡曲的に変わっていった時期であった。

そんな折、ZARDの「眠れない夜を抱いて」がテレビ朝日系列の『トゥナイト』のエンディングテーマとして、WANDSの「もっと強く抱きしめたなら」が三井生命のCM曲として、大黒摩季の「DA・KA・RA」がマルちゃんホットヌードルのCM曲として流れ、同時期に多くの人の耳に入ることとなった。これらのアーティストは当時ほぼ無名であり、無名のアーティストの曲が大量に流れることで、人々の話題がこれらのアーティストに集中した。無名性はまた、「実力派シンガー」としての印象を醸し出し、彼らのイメージアップを手伝った。情報不足の補完をする形で、同年10月からTBS系列で放送が始まった『突然バラエティー速報!!COUNT DOWN100』や、事実上の後継番組である『COUNT DOWN TV』において、これらの曲とアーティストがたびたび紹介された。これにより、ビーイング系列のアーティストは短い時期に急速に認知度が高まった。しかもこの年代は団塊ジュニア世代が就職または進学をした時期であり、カラオケブーム、居酒屋ブームとあいまって急速にCD販売が伸びた。ビーイング系の楽曲はこの時流に乗り、バンドブーム以降を模索していた他社を圧倒して販売を伸ばした。ビーイング系列の躍進と他社の停滞により、オリコンチャートの上位をビーイング系列が占める現象が起こった。内容は以下の通りである。

  1. 1992年12月28日から1993年7月26日までの31週間のうち27週間にわたって1位を独占
  2. 3月29日から7月26日までの18週間 連続して1位を独占
  3. 6月21日から7月5日の3週間、1位から5位を独占
  4. 6月28日は1位から6位を独占

ランキングに上った楽曲の中には、1位を獲得していないものの長期にわたり人気が続き、結果としてヒットとなった作品も多数存在した(大黒摩季T-BOLANDEENZYYGBAADMANISH柳原愛子REV、【ZYYG,REV,ZARD&WANDS featuring 長嶋茂雄】など)。

なお、「ビーイング系列」とされるレーベルには、ZAIN RECORDSB-Gram RECORDSなどがある。

これらの結果、1993年の年間販売ランキングは、ビーイング系列のアーティスト勢で占められた。1993年のオリコン年間総合売り上げチャートにおけるビーイング系アーティストの順位は 1位ZARD 2位WANDS 4位B'z 5位T-BOLAN 10位TUBE 11位大黒摩季 32位DEEN となった。 オリコン作詞家ランキングは、 1位上杉昇 2位坂井泉水 4位稲葉浩志 5位森友嵐士 7位大黒摩季。 オリコン作曲家ランキングは、 1位織田哲郎 3位松本孝弘 6位大島康祐 7位森友嵐士 8位栗林誠一郎 と、どのランキングもビーイング系列で占められることになった。

高順位の期間が長いということは、すなわちCDはごく一部のファンに買われたのではなく、広く多数の人に買われたこと、主に口コミにより人気が拡大していったことを示している。このビーイングブームによりバンドブームは完全に廃れ、バンドの多くは姿を消した(但し、X JAPANTHE BLUE HEARTSは未だに人気があるものの、この時期はシャ乱QMAGICTHE YELLOW MONKEYが売り出されるようになった)。バンドブームは、さらに前時代のアイドル歌謡ブームの歌唱力のなさを否定する形で発生していた。しかし、ブーム期間が続くにつれて音楽的浮動層から、「歌詞や楽曲に味わいがない」「曲や全体のイメージが汗臭い」と評価が出始めていた[要出典]。ビーイングブーム中の楽曲は、そのバンドブームを否定する「さわやかな」歌詞や曲のイメージをもっていたため、わずか3ヶ月程度で多くの若者に支持されたと考えられる。この印象は広告主にとってCM曲として使用するのに好都合で、流行の割にはCMとしては使われなかったバンド系の楽曲に対し、ビーイング系楽曲はCM曲、ドラマ主題歌として多数使われていた。CM曲としては、大塚製薬ポカリスエットのCM曲としてZARDの「揺れる想い」が、ドラマ主題歌としては、中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」と、ZARDの「負けないで」が大きな成功を収めた。

また、ビーイング系列のアーティストは、登場当初こそ前述の番組やテレビ朝日系列『ミュージックステーション』で姿を現したものの、ブームが本格化すると5分間のビーイング宣伝番組「NO.」を除いてテレビ出演を減らした。意図的に情報量を減らすことで、人々の話題を得る手法を採った。結果、ファン化された者は情報を得るためにCD買う連鎖現象が起こり、かつてないCD販売量を記録した。

これに追従する形で、1993年半ばには他社からもビーイング風の作品が発売されはじめた。それらの作品群もビーイング系列とともに大ヒットし、平成不況の時期ではあったがレコード界全体が活性化することとなった。それぞれの新曲はドラマやCM(カメリアダイアモンドのCM等)とタイアップし、連続して視聴者に刷り込むことによって販売量を伸ばした。音楽界のこの傾向は1995年頃まで続き、ドラマタイアップ、CMタイアップ、曲自体の大量宣伝が、ヒット曲を生む公式とさえ言われた。時代背景として若者の話題が音楽に集中したため、まさに「曲を作れば売れる」時代であり、ビーイング系列の躍進はより確実なものになっていった。

ただし、そのブームの中でも急造ゆえに長続きしなかったユニット、人気を出せなかったユニットもあり、それらの中には後述の衰退期を待たずに姿を消したものもある。森下由実子SO-FI矢嶋良介DEEP'S等がこれに当たり、森下自身が音楽業界から身を引くことになった。また、ZARDなどへの楽曲提供で作曲家として知られる栗林誠一郎はこのブームの中で、ソロアルバムがランクイン出来ない状況であった。しかし不人気とはいうものの、2000年代に入ってからのCD不況期とはCD売り上げ数は全く異なり、数万枚程度の売れ行きでも「不人気」とされていた。

本ブーム以前にも、フィンガー5キャンディーズピンクレディなど、特定のメーカーの特定のアーティストが瞬間的に売り上げを伸ばすことはあった。それまでは、特定のアーティストが話題の中心になると、それまで話題になっていたものが廃れる傾向にあったが、本ブームでは、特定メーカーの多数のアーティストが同時に、しかも短期間に売り上げを伸ばした。これにより、音楽の需要が高いことが明らかになり、ひいては「エンターテインメントビジネス」が、十分に存在できることが証明された。

小室ブーム到来、衰退期

おりしもビーイングブーム真っ最中の1993年夏、ビーイングとは全く異なる作風で発売されたtrfの「EZ DO DANCE」が予想以上にヒットし、ややウェットな曲調のビーイング風の作品群に風穴を開けた。その後もtrfは徐々に売り上げを伸ばし、売り上げ上位の一角をなすようになった。続く1994年には小室哲哉系列が、翌1995年には安室奈美恵globeがこれに加わり、ビーイング及びビーイング風の楽曲対avex(ダンスミュージックもしくはユーロビート)の様相となっていった。trfや篠原涼子 with T.Komuro、globeは乾いた曲調であり、ビーイング系列とは全く異なる作風で人気を博した。1995年には、Mr.ChildrenMY LITTLE LOVERといったビーイング系列に近い作風のトイズファクトリー系列の人気も高まった。特に1995年からはavex系列もヒットを重ねる中、MY LITTLE LOVERの「Hello, Again 〜昔からある場所〜」が大ヒット、翌年にはSPEEDが同世代の人気を得て、ビーイング系列のアーティストの存在が徐々に苦しくなっていった。ビーイングブームの中で急造されたユニットやソロ歌手は、この時期から徐々に新曲を出さなくなり、自然消滅していった。

avex系列との戦いに敗れたこと以外にも以下の問題があったため、ビーイング系列の衰退は起こるべくして起こったとも考えられる。

  1. 同時期に、新アーティストの投入がほとんどなかったこと。
  2. 人気を博したバンドが分裂等で大きく姿を変えたり、消滅したりしたこと。
  3. 織田哲郎栗林誠一郎ら、ビーイング系列独特の「節」を作ったメンバーが次々とビーイングを離れていったことにより、ビーイングの楽曲に新味ばかりか「それらしさ」までがなくなったこと。
  4. ビーイング系列躍進時のアーティストの年齢が高くなり、徐々に音楽購買層の生活観から離れてしまったこと(大黒摩季の「夏が来る」で歌われる、周囲から結婚をせかされる20代後半の女性など)。
  5. 不景気の中で、ビーイング系列を支えていた団塊ジュニア世代が活気を失い、代わりに女子高生ブーム、渋谷ブームなどの、主に1976年以降生まれの世代、いわゆるポスト団塊ジュニアと呼ばれる世代が流行の中心となっていったこと。

なお、avexは、製作体制こそビーイング系列の手法を踏襲したが、アーティストの露出には「おおらか」であった。これにより、意図的に露出を減らしたビーイング系列は「その手法がゆえに1996年の世間の話題にならなくなった」ため、急速に姿を消した(失敗)と考えられている。また、avexの現代的で明るい作風からみると、ビーイング系列の「主に人の恋愛感情に訴える作風」は、アムラーに代表される自由奔放な女性が注目されるようになったこの時期にあっては、「旧態化した演歌調の曲」と評価された。この作風の大きな違いが、旧さを感じさせるのを手伝ったとも言われている。

その後

1996年には、avex、トイズファクトリー沖縄アクターズスクール系列が躍進し、小室ブーム(avexブーム)が始まった。ビーイング系列は、B'zZARDTUBEを残して急速に衰え、ランキング上位から名前を消した。

その後、ビーイング系列は関西をはじめとする西日本を拠点にし、GIZA studioと名を変え、2000年頃に再び以前とほぼ同様の手法で進出を試みた。主に倉木麻衣愛内里菜などがそれに当たる。しかし、倉木の成功以外はどれもデビュー後数曲で売れ行きや話題の息が切れたり、登場当初から全く話題にならないなど、非常に苦戦を強いられた。以後も引き続き新人を投入するも、GIZA系列が音楽チャートに姿を見せる機会は少なくなっている。

2003年10月にはブームに一役買ったレコード会社である「ZAIN RECORDS」が「B-Gram RECORDS」に吸収合併され、2007年6月、坂井泉水の死去により過去の作品が再商品化されたり、他のビーイングブーム期の楽曲が「R35」と称するコンピレーションアルバムに収録された。それらは販売において十分な成績を収めるものの、世代によりそれらの商品に対する受け止め方が全く異なり、かつての「ビーイングブーム」楽曲が「なつメロ」化していることがより明らかになった。特にリアルタイムでブーム期を経験していない若年層にとっては、B'zやZARDは知っていてもWANDSは知らないなど、アーティストによって知名度に偏りが大きくなっている。

その一方で増崎孝司稲葉浩志を音楽プロデューサー業に進出させたり、東京にレコード会社「NORTHERN MUSIC」を設立したのが現状である。

評価

功績と批判

ビーイング系列はいわゆる作家集団に近く、電機メーカーを母体としたレコード会社ではない。登場当初こそ販売ルートを他社に頼ったものの、純粋なソフトウェアメーカーとしては初の成功といえる。後年のavexも同様で、レコードやCD再生機を販売するためのソフトウェア作製ではなく、音楽そのものを販売することの先駆者となった。これ以降、旧来の電機メーカー系レコード会社の衰退が顕著になり、新旧交代の覇者となったのはビーイング系列であった。

その一方で、ビーイング系列の音楽には批判もある。当時、本ブームにより「ビーイングは音楽を「いち商品」にした」という意見が出た。これはビーイング系列の楽曲が、歌手や演奏家の意思とは無関係にプロデューサー主導で作詞、作曲、レコーディング、そしてタイアップによる宣伝、大量販売(現在では、出荷枚数を大幅に減らして行っている)といった図式で販売を伸ばしたことを批判したものである。それ以前のバンドブームでは、その後期に商品化が進んだとはいえ、歌い手の意思が詩や曲に現れていたとされているため、バンドブーム時代のファンがビーイング系列を一方的に批判した結果、このような声となった可能性がある。

アニメーションへの進出

また、本ブーム中にビーイング系列は、テレビアニメ主題歌にも積極的に進出し、1980年代以降ほとんど商業路線に乗らなかったアニメソングの商品性を高めた。その頃既にテレビアニメの主題歌は、渡辺宙明菊池俊輔などが作曲する「それ専用の主題歌」ではなく、新人歌手や無名の歌手を使うことが定番となっていた。すなわち主題歌を流すための主題歌(要するに歌手やバンドの新曲発表会の場)となってしまっていた。

ビーイング系列は、テレビ朝日系で放送が始まった「スラムダンク」のオープニングテーマ、エンディングテーマにそれぞれ異なったアーティストを積極的に投入した。しかも定期的にアーティストと曲を替え、一種の宣伝の場とした。この手法は、「スラムダンク」自体、若しくはビーイング系列の曲を好む者からは好意的に受け入れられたが、旧来のアニメを好む者からは「汎用の曲」「流用の曲」と評された。

その他にアニメ主題歌となったものに、「おどるポンポコリン」(「ちびまる子ちゃん」初代エンディングテーマ)や「ムーンライト伝説」(「セーラームーン」初代オープニングテーマ)、B'zの「ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜」、「ギリギリchop」、ZARDの「マイ フレンド」、「Don't you see!」、「運命のルーレット廻して」がある。その中でも、日本テレビ系列の「名探偵コナン」の各曲は、コンピレーションアルバムが発売されるほど長期にわたって楽曲が提供された。

さらに年代を下った2000年頃には、avex系列が同様の手法でアニメーション主題歌に進出したが、これらメーカーはアニメーション製作にもかかわるほど進出した。

しかしこの手法は既に1980年代にソニー・ミュージックエンタテインメントが「シティハンター」「TO-Y」などで先鞭を付けており、ビーイング独自のビジネスモデルではなかった。

ビーイング系列が始めた時には画期的であったテレビアニメとの連携は、この頃になると特別なものではなくなっていた。むしろ「それらの音楽を聴くのはアニメのマニア」といったマイナスの目を持って見られることにつながったり、音楽を聴く層が相対的に中学生以下の層に移ることになったりし、20~30歳代の購買力がある層を取り逃がすことにつながった。結果、アーティストの秘匿性とタイアップによる大量宣伝を基本とした、ビジネスモデルとしての「ビーイング風」は完全に過去のものとなった。

1993年のオリコンシングルチャート1位

日付

1位獲得の曲名

1位獲得のアーティスト

1992年12月28日 世界中の誰よりきっと 中山美穂&WANDS
1993年1月4日(合算週) 世界中の誰よりきっと 中山美穂&WANDS
1993年1月11日 世界中の誰よりきっと 中山美穂&WANDS
1993年1月18日 世界中の誰よりきっと 中山美穂&WANDS
1993年1月25日 もっと強く抱きしめたなら WANDS
1993年2月1日 もっと強く抱きしめたなら WANDS
1993年2月8日 がじゃいも Sent offSent offとんねるず
1993年2月15日 慟哭 Sent offSent off工藤静香
1993年2月22日 おさえきれない この気持ち T-BOLAN
1993年3月1日 負けないで ZARD
1993年3月8日 時の扉 WANDS
1993年3月15日 YAH YAH YAH/夢の番人 Sent offSent offCHAGE&ASKA
1993年3月22日 YAH YAH YAH/夢の番人 Sent offSent offCHAGE&ASKA
1993年3月29日 愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない B'z
1993年4月5日 愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない B'z
1993年4月12日 愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない B'z
1993年4月19日 愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない B'z
1993年4月26日 愛を語るより口づけをかわそう WANDS
1993年5月3日 愛を語るより口づけをかわそう WANDS
1993年5月10日 愛を語るより口づけをかわそう WANDS
1993年5月17日 愛を語るより口づけをかわそう WANDS
1993年5月24日 夏を待ちきれなくて TUBE
1993年5月31日 揺れる想い ZARD
1993年6月7日 揺れる想い ZARD
1993年6月14日 裸足の女神 B'z
1993年6月21日 裸足の女神 B'z
1993年6月28日 刹那さを消せやしない/傷だらけを抱きしめて T-BOLAN
1993年7月5日 刹那さを消せやしない/傷だらけを抱きしめて T-BOLAN
1993年7月12日 だって夏じゃない TUBE
1993年7月19日 恋せよ乙女 WANDS
1993年7月26日 恋せよ乙女 WANDS

Sent offSent off:ビーイングの所属アーティストでない(累計に含まれない)

1993年6月28日付オリコンシングルチャート

関連項目

参考文献

  1. ^ CDジャーナル「ビーイングの1,050円廉価ベスト! WANDS、大黒摩季、T-BOLAN、織田哲郎ほか」音楽出版社、2007年11月22日(閲覧:2009年4月5日)。






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