スターへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:05 UTC 版)
「ディーン・マーティン」の記事における「スターへ」の解説
そしてクラブ歌手として活動中の1946年、アトランティック・シティのクラブで解雇寸前の窮地に立たされた時、偶然ナイトクラブで歌っていたニューヨークで出会った9歳下の無名コメディアン、ジェリー・ルイスと即興でコンビ(「Martin and Lewis」(日本での名称は「底抜けコンビ」))を組み人気が沸騰、それがハル・B・ウォリスの目に止まりコンビで映画「底抜けシリーズ」(パラマウント映画、1949年 - 1956年)に出演して、世界的スターになった。 1952年にはおなじパラマウント社の人気シリーズ「珍道中シリーズ」(主演ビング・クロスビー、ボブ・ホープ、ドロシー・ラムーア)にも、同コンビでゲストで乱入している(『バリ島珍道中』(Road to Bali、監督ハル・ウォーカー)。 マーティン&ルイスコンビ主演映画はパラマウントのドル箱シリーズになったが、成功はルイスの独りの手柄などの中傷があり、マーティンは歌手としてミリオンヒットを何枚か出したにもかかわらず俳優としての評価は低かった。なお、コンビ解消の理由は正式に発表されていないが2人は1956年に7本追加契約を結び、そのうち2本を消化しただけであり、その後ルイスはパラマウント&製作者ハル・B・ウォリスとの契約を継続したから、世間からはマーティンには自己都合退社したと揶揄されて不利に働いた。 だが独立後もウォリスへの恩は忘れず「果てなき夢」(1959年)、「凡ては夜に始まる」(1960年)、「浮気の計算書」(1962年)、「エルダー兄弟」(1965年)、「5枚のカード」(1968年)に主演し残り5本分の契約は果たし筋を通している。 マーティン語録①;誰の人生にも二つの曲がり角がある、私の人生で一つ目はジェリー・ルイスと出逢った事、二つ目はジェリー・ルイスと決別した事だ。
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