スキタイのアジア進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 20:38 UTC 版)
アジア(ここでは西アジアを指す)において、メディア王のキュアクサレス2世がアッシリア軍と戦い、ニノスの町を攻囲していた時、スキタイ王のマデュエス(英語版)率いるスキタイの大軍はメディア軍を強襲し、交戦の末にメディア軍を破って全アジアを席捲した。スキタイ王のマデュエスらは北の草原地帯からキンメリア人(キンメリオイ)を駆逐し、それを追ってコーカサス山脈の東側からアジアに侵入してきたのであるが、この地ではちょうどアッシリア帝国からの独立運動が盛んで、メディア軍がアッシリア軍を攻撃している最中であったため、スキタイ軍はそのすきを狙ってメディア軍を破り、続いてエジプトを目指して南下した。スキタイ軍がパレスチナ・シリアまで来た時、エジプト王プサメティコス1世(プサムテク1世)が自ら出向いて贈り物と泣き落とし戦術でもってスキタイの進軍を思いとどまらせたため、スキタイ軍は後戻りしてアジアを28年間統治することとなった。このスキタイのアジア統治は乱暴で投げやりなものであり、住民の一人一人に課税して取り立て、貢税のほかに各地を回って個人の資財を略奪したので、全アジアは荒廃に帰してしまった。そのためメディア人の怒りを買い、メディア王キュアクサレス2世の指揮のもと、スキタイたちを宴席に呼んで殺害し、スキタイの大部分を駆逐することに成功し、メディア人は再びアジアを取り戻すことができた。
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