ジャコバイト軍
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「グレン・シールの戦い」の記事における「ジャコバイト軍」の解説
ジャコバイト軍はアイリーン・ドナンから約12マイル進軍しており、グレン・シールの狭間まで進んだ。この狭間では山の尾根が谷をほぼ遮ったため防御に適しており、ジャコバイト軍は大急ぎで陣地を要塞化したことで防御が更に強化された。通り道にはバリケードが設置され、川の北側では山に沿って塹壕が構築された。下記の軍勢を含む本軍はこの塹壕に配置された。 キャメロン氏族150人。指揮官は氏族長のキャメロン・オブ・ロシール。 スペインからのガリシア連隊200人。指揮官はニコラス・デ・カストロ・ボラーニョ大佐とマッキントッシュ・オブ・ボーラム(英語版)准将。 リッドコート連隊150人と志願兵20人。 マグレガー氏族(英語版)40人。指揮官はロバート・ロイ・マグレガー。 マッキノン氏族(英語版)50人。 マッケンジー氏族200人。指揮官はシーフォース卿。マッケンジー氏族は最左翼、スコーア・オウラン(Scour Ouran)側に位置した。また反乱した准将のキャンベル(Campbell)も同伴した。 マッケンジー氏族200人。指揮官はサー・ジョン・マッケンジー・オブ・クール(Sir John Mackenzie of Coul)。 マレー氏族(英語版)氏族150人。指揮官はタリバーディン侯爵ウィリアム・マレーとその弟のジョージ・マレー卿(英語版)。川の南岸にある山上に位置した。 キース氏族(英語版)の兵士。指揮官は氏族長の第10代マーシャル伯爵ジョージ・キース。
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ジャコバイト軍
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チャールズ率いるジャコバイト軍はその75%がハイランド人で占められていた。かれらの装備は貧弱で、銃や大砲はおろか剣や槍、鹵獲した武器などを加えても武装しているといえる兵員は全体の2割程度であった。他の者は農具や棍棒など有り合わせのものを携えていた。フランスが差し向けてくれた援軍も武装や士気は貧弱だった。
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