ジャコバイトの継承問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 14:33 UTC 版)
「アンナ・マリーア・ドルレアンス」の記事における「ジャコバイトの継承問題」の解説
アンナ・マリーアの死後約80年を経た1807年、枢機卿ヘンリー・ベネディクト・ステュアートが死んだ。この人物はアンナ・マリーアの叔父ジェームズ2世の男系最後の子孫だった。ジャコバイトたちは、チャールズ1世の子孫で最も年長の者を、イングランドとスコットランドの正当な王位継承者とすることにした。当時この条件に最も当てはまったのは、アンナ・マリーアとヴィットーリオ・アメデーオ2世の曾孫、サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ4世だった。以後、アンナ・マリーアの子孫がジャコバイトの認める王位継承者となった。 アンナ・マリーア・ドルレアンス オルレアン家 1669年8月27日 -1728年8月26日 イタリア王室先代:マリア・ルイーザ・ディ・サヴォイア シチリア王妃1713年9月22日 – 1720年2月17日 次代:エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル 先代:エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル サルデーニャ王妃1720年2月17日 – 1728年8月26日 次代:ポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグ 典拠管理 BNF: cb149537677 (データ) DTBIO: 133606457 FAST: 1674200 GND: 133606457 ICCU: SBNV069323 ISNI: 0000 0000 8000 3412 J9U: 987007344266705171 LCCN: n2007031568 PLWABN: 9811516646805606 SELIBR: 209358 VcBA: 495/162274 VIAF: 65920633 WorldCat Identities: lccn-n2007031568
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