ジャコバイト貴族として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 14:30 UTC 版)
「パース伯爵」の記事における「ジャコバイト貴族として」の解説
2代伯の孫である4代伯ジェイムズ・ドラモンド(c.1649–1716)は、カトリックに改宗してジェームズ2世の支持者となり、名誉革命後ジャコバイトとなった。1690年にはジャコバイトのスコットランド貴族爵位として「ドラモンド侯爵」(Marquess of Drummond)、「ストーブホール伯爵」(Earl of Stobhall)、「カーギル子爵」(Viscount of Cargill)を与えられ、ついで1701年にはジャコバイトのスコットランド貴族爵位として「パース公爵」(Duke of Perth)に叙位された(ジャコバイト爵位については便宜上「」で記す)。しかし英国本国においては1716年に私権剥奪で称号を喪失した。 その息子で「2代パース公爵」を請求したジェイムズ・ドラモンド(c.1674-1720)もジャコバイトとして1715年ジャコバイト蜂起のシェリフミュアの戦い(英語版)に騎兵隊を率いて参戦した。その息子の「3代パース公爵」ジェイムズ・ドラモンド(英語版)(1713-1746)もジャコバイトとして1745年ジャコバイト蜂起のプレストンパンツの戦い(英語版)やカロデンの戦いに若僭王の指揮下で参加している。その弟の「4代パース公爵」ジョン・ドラモンド(英語版)(1714-1747)もジャコバイトとしてフォルカーク・ミュアの戦い(英語版)やカロデンの戦いに参戦している。 彼の死後、「初代パース公爵」の次男であるジョン・ドラモンド(1679-1757)、ついでその弟エドワード・ドラモンド(生年不詳-1760)が「パース公爵」を請求した。エドワードの死後は、「初代パース公爵」の弟でやはりジャコバイト貴族として「メルフォート公爵」に叙位されていた初代メルフォート伯爵ジョン・ドラモンドの先妻との間の孫にあたるジェイムズ・ランディン(1707–1781)が「パース公爵」位を請求するとともにドラモンド姓に改姓した。 その息子である「8代パース公爵」ジェイムズ・ドラモンド(英語版)(1744-1800)は、1783年にドラモンド家の土地を継承し、1797年10月26日には公式の爵位であるグレートブリテン貴族爵位パース州におけるストーブホールのパース卿、ドラモンド男爵(Lord Perth, Baron Drummond, of Stobhall, co. perth)に叙位されて英国貴族社会に復帰した。しかし1800年7月に男子なくして死去したため、この爵位は彼一代に終わった。この後ドラモンド家の土地は娘のクレメンティナ(第22代アースビーのウィロウビー男爵(英語版)ピーター・ドラモンド=バレル(英語版)と結婚)が相続している。 「パース公爵」と「パース伯爵」は「初代メルフォート公爵」の後妻の間の曽孫で「第4代メルフォート公爵(第4代メルフォート伯爵)」であるジェイムズ・ルイス・ドラモンド(1750-1800)に移った(「メルフォート公爵」「メルフォート伯爵」の爵位は後妻の系統に継承される特別継承者の規定があったため、この系統に継承されていた)。ついでその弟チャールズ・エドゥアルド・ドラモンド(1752–1840)、ついでその甥ジョージ・ドラモンド(1807–1902)に受け継がれた。
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