ザクセン公国
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ザクセン公国(ザクセンこうこく、独: Herzogtum Sachsen)は、中世から近世にかけて北部ドイツ地方一帯を支配した領邦。その版図は時代によって変遷があって一様ではないが、おおむね現在のドイツのザクセン州、ニーダーザクセン州、ノルトライン=ヴェストファーレン州、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州、ザクセン=アンハルト州にまたがる。何度かの分裂と統合を経て、その一系統が1806年の神聖ローマ帝国の解体によってザクセン王国となった。ドイツ諸邦の中ではオーストリア、プロイセン、バイエルンと共に長く重要位置を占めた国であり、ポーランドを実質支配した時期もある。
- 1 ザクセン公国とは
- 2 ザクセン公国の概要
- 3 歴史
- 4 関連項目
ザクセン公国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 07:59 UTC 版)
8世紀、カール大帝によってフランク王国に併合された。ザクセン部族の長ヴィドゥキントは改宗させられてザクセン大公となり、ザクセン公国の統治をまかされた。カロリング朝が断絶した後に、ドイツ国王に選ばれたのは、ザクセン大公ハインリヒ1世であった。彼の子オットー1世は、神聖ローマ帝国の初代皇帝となった。その後、ザクセン人の支配領域はいまだキリスト教化されていなかった南東地域(今日のザクセン州とザクセン=アンハルト州に含まれる地域)に広がった。その新しい地域をキリスト教化し、統治していた貴族は、ザクセン朝の断絶後、ザクセン公の地位を継承し、近代には「ザクセン地方」の名はもっぱらそちらを指すようになっていた。それと区別するために、旧ザクセン地方には、「ニーダーザクセン」の名が帝国クライスを設置する際に与えられた。ザクセン公国は大幅に南東へと移動したため(現在のザクセン州)、旧ザクセンの地は北東から新興してきたプロイセン王国へと併呑されていく。
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ザクセン公国
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元首は国王フォイエルバッハ。キーパーソンは双頭竜騎士団団長フェルディナント。クローヴィスと敵対していたフォイエルバッハが、一族や彼に共鳴した貴族たちと共にラーガイルより独立する。独立より十数年を経たが、フォイエルバッハは病がちとなり、王子マンフリートは優しい性格から軟弱者とみなされている。このため、フェルディナンドとその姉ロイテガルドは王子を廃嫡に追い込み、国をのっとろうと画策しているふしがある。騎士団名には竜の文字がつく。主人公が仕官するとティーグル傭兵団は竜神騎士団となる。
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