グズマン判事夫妻との闘争
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「カロン・ド・ボーマルシェ」の記事における「グズマン判事夫妻との闘争」の解説
2月24日に牢獄に入れられてから、彼の関心はラ・ブラシュ伯爵との裁判にあった。伯爵がこれを絶好の機会ととらえ、高等法院の判事たちに自分の味方となるように働きかけを強めるに決まっていると考えたのであろう。早速、警察長官のサルティーヌに「進行中の裁判があるから、一刻も早く牢獄から出してくれるよう」手紙を書き、宮内大臣ラ・ヴリイエール公爵へ執り成しを頼んだが、無碍に断られてしまった。彼はこのような仕打ちに怒りを見せたようだが、宮内大臣が首を縦に振らない以上どうしようもなかった。3月20日、ある匿名の手紙が彼のもとへ届けられた。内容から察するに、ボーマルシェに好意的な人物の手によるものであろう。その手紙には「あなたがいくら権利を奪われたとして正義の裁きを求めても、宮内大臣の姿勢は変わらない。絶対王政下にあっては、権力者に赦しを請い、卑下した態度を示すことこそ肝要である」と認められていた。この手紙の意見を素直に聞き入れたようで、翌日の21日に宮内大臣へ彼が送った手紙には、匿名の手紙に書かれていた通りの態度が示されている。大臣はこの手紙を受け取り、ボーマルシェは充分懲りていると判断したのか、厳しい条件付きではあるが外出許可を与えた。早速判事たちに面会を求めてパリを歩き回ったボーマルシェであったが、思い通りの成果を挙げることはできなかった。 デュヴェルネーと証書を交わした、ちょうど3年後の1773年4月1日、高等法院の報告判事としてルイ=ヴァランタン・グズマン(ゴズマン、ゴエズマンとも)が任命された。当時の高等法院においては、この報告判事の下した結論に基づいて判決が決定されるのが一般的であったから、賄賂は厳禁であったが、事前に判事にあって懐柔しておくのが一般的であった。ボーマルシェも早速グズマンに会って自身の正当性を主張しようとしたが、会うことすらできなかった。ラ・ブラシュ伯爵の判事への工作が相当に浸透していたのかもしれないが、これにはグズマンという男自体の考えも絡んでいた可能性がある。この男は、遺されている資料から判断するに、融通の利かない性格で、容姿も醜い男であったという。顔面神経痛という持病がそれに拍車をかけており、その対照的な存在であるボーマルシェに個人的な恨みを抱いていたのかもしれない。 ボーマルシェは何度もグズマンに会いに行ったが、一度も面会を果たせないままであった。彼は途方に暮れ、妹の家での会合において不安を口にした。その際、そこに居合わせた知人ベルトラン・デロールから「本屋のルジェに頼んではどうか」との提案を受けた。ルジェはグズマンの著書の販売を手掛けており、グズマン夫妻と親しい間柄であったからだ。実際、ルジェを通してのグズマン夫人への面会申し込みは有効であった。厚かましくも彼女は、面会の条件として100ルイ(現在の日本円にしておよそ45000~110000円程度)を要求してきたが、必死になっていたボーマルシェはその要求を呑むことにした。こうしてボーマルシェはグズマン判事への面会を果たした。判事は「一通りの書類を検討した」と彼に述べたが、やはりこの男はボーマルシェに好意的でなく、筋の通らない論法や、傲岸不遜な態度、軽蔑的な口調を隠そうともしなかった。ボーマルシェは彼を論破するべく、判事への反論を文書化して再度面会を求めたが、またも夫人は贈り物を要求してきた。この際にはダイヤモンドを散りばめた時計と15ルイが贈られたが、この時にこれらの贈り物を要求したという事実が、グズマン判事夫妻の身を破滅させることになるのであった。 要求の品物を与え、面会の約束を取り付けたにもかかわらず、ボーマルシェはグズマン判事邸で門前払いを食らってしまった。約束の不履行を抗議するなどして、なんとか面会しようとしたが、結局果たせないままに判決を迎えた。1773年4月6日、高等法院での判決が下った。ボーマルシェの敗訴がこれで決定し、グズマン夫人は約束不履行のために、15ルイ以外の贈り物をすべて返却した。この敗訴は、ボーマルシェを相当に追い詰めた。彼は恩人を裏切って証書を偽造したペテン師ということになり、裁判所からは法定費用を含めておよそ6万リーヴルの罰金を科せられた。勝訴した伯爵によって財産と収入は差し押さえられ、そのあおりを受けて家族は家を追い出されて路頭に迷っていた。しかも、ボーマルシェは外出許可があったとはいえ、いまだ牢獄につながれている囚人のままであった。判決直後は絶望に打ちひしがれていたボーマルシェであったが、やがて立ち直り、四面楚歌の状況を打開しようともがき始めた。
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