グズマン判事夫妻との闘争とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > グズマン判事夫妻との闘争の意味・解説 

グズマン判事夫妻との闘争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 09:29 UTC 版)

カロン・ド・ボーマルシェ」の記事における「グズマン判事夫妻との闘争」の解説

2月24日牢獄入れられてから、彼の関心はラ・ブラシュ伯爵との裁判にあった伯爵がこれを絶好機会ととらえ、高等法院判事たちに自分味方となるように働きかけ強めるに決まっていると考えたであろう。早速、警察長官のサルティーヌに「進行中裁判があるから、一刻も早く牢獄から出してくれるよう」手紙書き宮内大臣ラ・ヴリイエール公爵執り成し頼んだが、無碍断られてしまった。彼はこのような仕打ち怒り見せたようだが、宮内大臣が首を縦に振らない以上どうしようもなかった。3月20日、ある匿名の手紙が彼のもとへ届けられた。内容から察するに、ボーマルシェ好意的な人物の手によるものであろうその手紙には「あなたがいくら権利奪われたとして正義裁き求めても、宮内大臣姿勢変わらない絶対王政にあっては権力者に赦し請い卑下した態度を示すことこそ肝要である」と認められていた。この手紙の意見素直に聞き入れたようで、翌日21日宮内大臣へ彼が送った手紙には、匿名の手紙に書かれていた通り態度示されている。大臣この手紙を受け取りボーマルシェ充分懲りていると判断したのか、厳しい条件付きではあるが外出許可与えた。早速判事たちに面会求めてパリ歩き回ったボーマルシェであったが、思い通り成果を挙げることはできなかった。 デュヴェルネーと証書交わした、ちょうど3年後1773年4月1日高等法院報告判事としてルイ=ヴァランタン・グズマン(ゴズマン、ゴエズマンとも)が任命された。当時高等法院においては、この報告判事下した結論基づいて判決決定されるのが一般的であったから、賄賂厳禁であったが、事前に判事にあって懐柔しておくのが一般的であったボーマルシェも早速グズマンに会って自身正当性主張しようとしたが、会うことすらできなかった。ラ・ブラシュ伯爵判事への工作が相当に浸透していたのかもしれないが、これにはグズマンという男自体考え絡んでいた可能性がある。この男は、遺されている資料から判断するに、融通利かない性格で、容姿も醜い男であったという。顔面神経痛という持病がそれに拍車をかけており、その対照的な存在であるボーマルシェ個人的な恨み抱いていたのかもしれないボーマルシェ何度もグズマンに会い行ったが、一度面会果たせいままであった。彼は途方に暮れ、妹の家での会合において不安を口にした。その際、そこに居合わせた知人ベルトラン・デロールから「本屋ルジェ頼んではどうか」との提案受けたルジェはグズマンの著書販売手掛けており、グズマン夫妻親し間柄であったからだ。実際ルジェ通してのグズマン夫人への面会申し込みは有効であった厚かましくも彼女は、面会条件として100ルイ(現在の日本円にしておよそ45000~110000円程度)を要求してきたが、必死になっていたボーマルシェはその要求呑むことにした。こうしてボーマルシェはグズマン判事への面会果たした判事は「一通り書類検討した」と彼に述べたが、やはりこの男はボーマルシェ好意的でなく、筋の通らない論法や、傲岸不遜態度軽蔑的な口調隠そうともしなかった。ボーマルシェは彼を論破するべく、判事への反論文書化して再度面会求めたが、またも夫人贈り物要求してきた。この際にはダイヤモンド散りばめた時計15ルイ贈られたが、この時にこれらの贈り物要求したという事実が、グズマン判事夫妻の身を破滅させることになるのであった要求品物与え面会約束取り付けたにもかかわらずボーマルシェはグズマン判事邸で門前払い食らってしまった。約束不履行抗議するなどして、なんとか面会しようとしたが、結局果たせないままに判決迎えた1773年4月6日高等法院での判決下ったボーマルシェ敗訴がこれで決定し、グズマン夫人約束不履行のために、15ルイ以外の贈り物をすべて返却した。この敗訴は、ボーマルシェを相当に追い詰めた。彼は恩人裏切って証書偽造したペテン師ということになり、裁判所からは法定費用含めておよそ6リーヴル罰金科せられた。勝訴した伯爵によって財産収入差し押さえられ、そのあおりを受けて家族は家を追い出され路頭に迷っていた。しかも、ボーマルシェ外出許可があったとはいえ、いまだ牢獄つながれている囚人のままであった判決直後絶望打ちひしがれていたボーマルシェであったが、やがて立ち直り四面楚歌状況打開しようともがき始めた

※この「グズマン判事夫妻との闘争」の解説は、「カロン・ド・ボーマルシェ」の解説の一部です。
「グズマン判事夫妻との闘争」を含む「カロン・ド・ボーマルシェ」の記事については、「カロン・ド・ボーマルシェ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「グズマン判事夫妻との闘争」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「グズマン判事夫妻との闘争」の関連用語

グズマン判事夫妻との闘争のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



グズマン判事夫妻との闘争のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのカロン・ド・ボーマルシェ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS