カトリック両王への売り込みとは? わかりやすく解説

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カトリック両王への売り込み

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 19:53 UTC 版)

クリストファー・コロンブス」の記事における「カトリック両王への売り込み」の解説

コロンブスへの援助同意したメディナセリ公だったが、このような計画王室への許可を得るべきだと考えカスティーリャイサベル1世計画知らせると、彼女自身がこれに興味覚えた1486年5月1日メディナセリ公が紹介してコロンブスコルドバイサベル1世とその夫フェルナンド2世カトリック両王)に謁見した。コロンブスの話にフェルナンド2世はあまり興味を持たなかったが、イサベル1世惹きつけられた。計画は、懺悔聴聞師のエルナンド・デ・タラベラ(フライ・エルナンド・デ・タラベーラ)神父中心とする諮問委員会設けられ、そこで評価されることになった1486年だけで二度委員会開かれたが、コロンブス示したアジアまでの距離が特に疑問視され、結論持ち越された。 コロンブスメディナセリ公の支援を受けながらコルドバ彼の城に滞在しカトリック両王との面談模索する一方で交流持った医師学者らの中の一人から当時20歳(または21歳)の小作人の娘ベアトリス・エンリケス・デ・アラーナ(スペイン語版)と恋愛関係となり、1488年8月15日フェルナンドスペイン語版)が生まれたが、コロンブスベアトリス正式に結婚しなかった。 しかしスペイン王室からの返事はなかなか届かなかった。コロンブス好意持った委員会長のタラベラや、メンバー1人であるドミニコ会のディエゴ・デ・デサらは、委員会否定的結論出そうとすると引き延ばしかかっていた。コロンブスポルトガルジョアン2世手紙送ったが、バルトロメウ・ディアス喜望峰発見もあって話がまとまることはなかった。また、バルトロメイギリスヘンリー7世フランスシャルル8世元に差し向け計画宣伝をさせた。いずれの王からも支持得られなかったが、シャルル8世の姉アンヌ・ド・ボージュー歓待得てバルトロメフォンテーヌブロー宮殿数年滞在した。しかしこれらの行動も実を結ばなかった。 一方スペイン王室は、1489年5月12日付でコロンブス王室謁見するときに必要な宿泊費無料にする通達を出すなど、不完全ではあるが金銭的援助行い決して彼を邪険にしていたわけではなかった。しかし1490年、タラベラの委員会提案反対する結論出したことでコロンブス諦め気味にパロス戻り、ラ・ラビダ修道院向かった。話を聞いたペレス院長コロンブス慰留し、イサベル1世側近セバスチャン・ロドリゲスを頼り王室再検討促した。このわずか2週間後、コロンブスのもとに王室書簡届き、旅金を添えて出頭するよう勧告する内容があった。提案検討カスティリャ枢機院移された。 しかし1491年枢機院にも案を否決されたために、万策尽きたコロンブスは弟バルトロメ滞在するフランスへ向かう決意固めた。ここにルイス・デ・サンタンヘル(スペイン語版)が登場する財務長官であった彼は女王説得乗り出しコロンブス提示した条件見込める収入からすれば充分に折り合い、また必要な経費も自らが都合をつける申し出た1492年1月2日に、ムーア人最後拠点であったグラナダ陥落したことで、スペイン財政上の余裕ができたことをサンタンヘルは指摘した。もともと興味持っていたイサベル1世はこれで勢い得てフェルナンド2世説き伏せスペインはついにコロンブス計画承認した。このとき、コロンブスはまさにフランスへ向けてグラナダ出発したところだった。女王伝令は彼を追いかけ15キロほど先のピノス・プエンテの上コロンブス追いついた。このには、劇的ともいえる出来事解説する銅版がある。

※この「カトリック両王への売り込み」の解説は、「クリストファー・コロンブス」の解説の一部です。
「カトリック両王への売り込み」を含む「クリストファー・コロンブス」の記事については、「クリストファー・コロンブス」の概要を参照ください。

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