ウィンドワード諸島
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ウィンドワード諸島(Windward Islands)という名の諸島には以下のものがある。Windward は「風上」の意。
- 1 ウィンドワード諸島とは
- 2 ウィンドワード諸島の概要
ウィンドワード諸島
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詳細は「ウィンドワード諸島 (西インド諸島)」を参照 小アンティル諸島を二分した「ウィンドワード(風上)諸島」の東部にあたるが、西部を「リーワード・アンティル諸島」とし、東部のみを「ウィンドワード諸島」と呼ぶ場合もある。フランス語などで「風上の島」と呼ばれる諸島の南部にあたる。 イギリスとフランスが植民地とした。この地域に6つある独立国はいずれもイギリスの植民地から独立したもので、英連邦の加盟国である。 フランス領アンティル ( グアドループ) グランド・テール島、バス・テール島、マリー・ガラント島など ドミニカ国 フランス領アンティル ( マルティニーク) マルティニーク島 セントルシア バルバドス セントビンセント・グレナディーン セントビンセント島、グレナディーン諸島 グレナダ トリニダード・トバゴ共和国 トリニダード島、トバゴ島 南端のトリニダード島・トバゴ島をリーワード・アンティル諸島に含む場合もある。
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ウィンドワード諸島
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「英領西インド諸島」の記事における「ウィンドワード諸島」の解説
1833年、ウィンドワード諸島はウィンドワード諸島植民地と呼ばれる公式な連合になった。1838年、以前は直轄植民地だった1802年獲得のトリニダード島と1814年獲得のセントルシアがウィンドワード諸島植民地に追加されたが、それら自身の議会は与えられなかった。1840年、トリニダードはこの植民地ではなくなった。ウィンドワード諸島植民地は独自性と古い習慣の維持が望まれたためバルバドスと同じく人気がなく、また、1815年まではフランスの侵攻に対抗するために関係は必要とされていたが、その後、他のウィンドワード植民地の島々はバルバドスとの関係が面白くなかった。このため、それぞれの島は近しい連合と使用とする英国の試みに抵抗した。バルバドスは特に独自の議会を保つために戦った。この後、バルバドスは独自の殖民政府を確立した。 1885年から1958年、ウィンドワード諸島植民地はグレナダ、グレナディーン諸島、セントビンセント、セントルシアから構成された。トバゴは1889年にトリニダード島とともにウィンドワード植民地から離脱し、トリニダード・トバゴ連合として殖民政府を形成した。ドミニカ国は1940年にリーワード諸島植民地からウィンドワード諸島植民地に追加され、そのまま1958年まで残った。1885年以降、ウィンドワード諸島植民地はグレナダにいる総督の下にあり、それぞれの島々には以前のように副総督とそれぞれの議会が存在した。リーワード諸島のような植民地連合の試みはことごとく抵抗された。ウィンドワード諸島植民地は1958年に解散となり、それぞれ個々の島々として西インド諸島の新しい連合に属するかどうかを選択した。
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