イムジン河
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「イムジン河」(イムジンがわ、原題: 臨津江、朝: 림진강(リムジンガン、北朝鮮))は、朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)の楽曲である。朝鮮民主主義人民共和国では「リムジンガン」と発音するが、日本では韓国での発音に由来する「イムジン河」の表記を用いることが一般的である。
注釈
- ^ 東芝EMI→EMIミュージック・ジャパン→ユニバーサルミュージック/EMIレコーズ・ジャパンレーベル
- ^ 2012年6月20日発売「約束」c/w曲。
- ^ 2013年頃まではシネカノンとフジパシフィックミュージック、2014年2月時点ではジェイ・シネカノンが出版者として登録されていた。2010年代だけで出版者が頻繁に変遷している。
- ^ アゲント・コンシピオ発売のCDシングル(2002年3月21日 / 規格品番:AGCA-001003)収録音源の登録コードである。
- ^ 「LIMITED BY TOSHIBA-EMI LIMITED」と記載。
- ^ 「夭折のエストラーダ─北朝鮮歌謡「リムジンガン」再考」、初出は『アリーナ』22号(中部大学、2019年)。この論考は『モスクワ広場でコーヒーを』(風媒社、2022年)に再録。
出典
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イムジン河
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「帰って来たヨッパライ」がミリオンヒットとなったフォーク・クルセダーズは、松山が作詞した『イムジン河』を発売しようとする(この曲も『ハレンチ』に収録されている)。ところが、発売前に数回ラジオにかけた後、突如、レコード会社が発売中止として、さらに放送自粛的な雰囲気が広がった。 松山は、コリア・タウンの周辺で育ち、幼少の頃から在日韓国・朝鮮人の友人たちがいた。しかし、通っていた中学校の生徒と朝鮮中級学校の生徒とはいがみあいが絶えず、サッカーの対抗試合を通じて理解を深め合おうと計画し、試合の申し込みにいったときに「イムジン河」を耳にする。その後、友人となった朝鮮中級学校の生徒から、この「イムジン河」を教えてもらったという。 以上のような経過で「イムジン河」を知った松山を含めたザ・フォーク・クルセダーズのメンバーなどの関係者は、曲の由来を知らず、朝鮮民謡と思っていた。しかし、北朝鮮の国歌を書いた朴世永が作詞し、高宗漢が作曲した歌であった。 松山が「イムジン河」を通じての朝鮮中級学校の交流は、『少年Mのイムジン河』という本にまとめられ、この書籍が大ヒットした井筒和幸監督の映画『パッチギ!』の原案となった。
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