イギリスの対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 01:37 UTC 版)
イギリス海軍は午前のうちにドイツ海軍の通信を傍受・解読し、潜水艦部隊が北海を行動中であることも、艦隊が出撃していることも把握していた。軍令部はジェリコーとビーティーに対して出撃を命じた。ジェリコーは「大艦隊」の24隻の弩級戦艦と3隻の巡洋戦艦を率いてスカパ・フローから出撃した。ビーティー率いる巡洋戦艦部隊(6隻の巡洋戦艦と4隻の弩級戦艦)もフォース河口から出撃した。イギリス側は全ての参加部隊が5月31日午前0時頃北海に出て進軍を始めた。 ジェリコーはユトランドの沖合のスカゲラク海峡の西90マイル(145km)で、先行するビーティーと午後4時には合流し、ドイツ艦隊への迎撃体勢を取る予定であった。ビーティーの巡洋戦艦部隊は先に会合点の南南東150海里まで進出し、敵が見当たらないことを確認後、針路を北に折り返し会合点へ向かうよう指示された。ジェリコーはドイツ艦隊の到着はこの合流の9時間後と思い込んでいたが、実際には合流を待たずに海戦が始まった。この誤判断は本国海軍本部情報部のミスが誘因だった。
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