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アメリカン航空587便墜落事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/24 05:44 UTC 版)
| 概要 | |
|---|---|
| 日付 | 2001年11月12日 |
| 原因 | 後方乱気流発生時におけるパイロットの判断ミス |
| 場所 | |
| 死者 | 乗員乗客260人と地上の5人 |
| 負傷者 | 16(少なくともこの数の住民が負傷) |
| 航空機 | |
| 機体 | エアバスA300B4-605R |
| 航空会社 | |
| 機体記号 | N14053 |
| 乗客数 | 251 |
| 乗員数 | 9 |
| 生存者 | 0 |
アメリカン航空587便墜落事故(アメリカンこうくう587びんついらくじこ)とは、2001年にアメリカン航空のエアバスA300がジョン・F・ケネディ国際空港を離陸直後に墜落した航空事故である。ボーイング747の後方乱気流に巻き込まれ、副操縦士がラダーを過剰操縦したことによって垂直尾翼がこれに耐え切れずに折れたのが墜落の原因だが、これをアメリカン航空の副操縦士のミスが原因とするエアバス社とエアバス社の設計ミスが原因とするアメリカン航空の意見が未だに対立している。
目次 |
587便の概要
2001年11月12日、アメリカン航空587便はエアバスA300-600(機体記号N14053, 1987年製造)型機でジョン・F・ケネディ国際空港発のドミニカ・サントドミンゴのラス・アメリカス国際空港行きとしてケネディ空港を午前9時15分頃に離陸した。587便にはエド・ステイツ機長、ステン・モーリン副操縦士ら乗員9名と乗客251名の合計260名が搭乗していた。そのうち226人がドミニカ人やドミニカからアメリカへの移民であった。
後方乱気流とエアバスのラダー
しかし、587便は墜落の約28秒前に1回目の乱気流に、約8秒前に2回目の乱気流に巻き込まれた。この乱気流は、587便の直前に離陸した日本航空のジャンボ機(JFK発成田行きの47便)の後方乱気流であった。ただ、ボーイング747の後方乱気流は時として非常に強大になる場合があるが、それだけが要因で後続のジェット旅客機が墜落することはまずない。
587便が墜落した直接の原因は、垂直尾翼の折損である。エアバスの中でA300とA310はフライバイワイヤーではなくケーブルによる操作を行う機体だが、ラダー操作ペダルは他の機種と比べて軽く設計されていた。しかし副操縦士が訓練を今まで受けてきていたのは従来式の重いペダルだったため、ラダーを少し一方へ傾けたつもりが傾き過ぎ、これを直そうと逆方向に少し動かしたつもりがまた今度は反対側までいってしまった。という操作を、離陸後の高速状態で、しかも乱気流の中で何回も行ったことで垂直尾翼がこれに耐え切れずに折れてしまったのである。
墜落と被害
垂直尾翼を失った機体は機体制御を失い、2回目の乱気流の直後、パイロットが機体を右に傾けようとしたのにもかかわらず、機体は左に傾いて急旋回しながら高度が下がり、9時17分頃ケネディ空港近くの住宅街(ニューヨーク市クイーンズ区)に墜落した。乗客乗員260人は全員死亡した。また、事故地点周辺では大規模な火災が発生し、周辺の住民5人も死亡し、少なくとも16人が負傷し、さらに住宅4棟が全焼するなどの被害が出た。
この事故はアメリカ国内でも最悪級の事故であり、アメリカン航空でも2番目に大きい事故である(1番の事故はアメリカン航空191便墜落事故である)。
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