アイルランド聖公会
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アイルランド聖公会(アイルランドせいこうかい、英語: Church of Ireland, アイルランド語: Eaglais na hÉireann[1])は、キリスト教の一派のアングリカン・コミュニオンにおいて自治権をもつ大教区のひとつ。主に北アイルランドとその国境付近のアイルランドで信仰されている。アイルランド地域における国教であった時代もあったため、アイルランド国教会とも訳される。ほかの聖公会各派と同様にカトリックとプロテスタントの中間的な教義であるとされているが[2]、アイルランド聖公会では特に「アイルランドの古伝・公同(カトリック)・使徒継承教会 (the Ancient Catholic and Apostolic Church of Ireland)」と「改革されたプロテスタント教会 (a reformed and Protestant Church)」の2つの要素で形作られているとする独自の解釈をもつ。[3]
- ^ アイルランドの標準名データベース、Civil parishes項アイルランド語版 and 英語版 - "na bparóistí Caitliceacha nua-aimseartha ná pharóistí Eaglais na hÉireann."
- ^ http://www.ireland.anglican.org/index.php?do=about アイルランド聖公会の公式HP
- ^ http://www.ireland.anglican.org/index.php?do=information&id=23 アイルランド聖公会公式HP、聖公会の範囲について
- ^ キリスト教の教義と歴史、批評ノート1。教義の歴史(英語)
- ^ 1976年に米国聖公会が同性愛者の権利などを認めて以来、現在にいたるまで女性聖職者や同性愛者聖職者についてこれを認めるか否かで大教区によって、さらにその中の主教区においても意見が分かれている。参考:Gay Japan News
- ^ 世界の旗アイルランド聖公会の旗としてのセントパトリック旗(英語)
- ^ 聖公会のメンバーは2002年から2006年にかけて8.7%上昇したが、その間の人口増加は8.2%にとどまっている(アイルランド中央統計局)2006年国勢調査、人口統計の結果
- ^ ダブリン大主教のジョン・ネイルは2007年10月17日に『アイリッシュ・インディペンデント』(アイルランドで最も売れている日刊新聞)においてかなりの数のカトリック教徒がアイルランド聖公会に加入していることを述べている。該当インタビュー(英語)
- ^ 『コロンバ・プレス』2007年5月23日『From Roman Catholic Priest to Church of Ireland Rector』より(マーク・ハイドンという人物の宗派替えについての記事) [1] Archived 2007年11月21日, at the Wayback Machine.
- ^ ウェスタン・ピープル・ニュースペーパー、2007年6月6日の記事 Archived 2007年11月14日, at the Wayback Machine.
- ^ アイリッシュ・インディペンデント、2008年2月26日の記事
- ^ Irish Times, 10 May 2008
- ^ [2] - この際可決されたものは先の記述にある聖パトリック旗以外の旗を使用することを禁止するもの。URLはその広報
- ^ Anglican Listening Archived 2008年7月5日, at the Wayback Machine. - 聖書、伝統、理性がどのように互いに強く擁護し批判するのかという詳しい説明(英語)
- 1 アイルランド聖公会とは
- 2 アイルランド聖公会の概要
- 3 構造
- 4 礼拝と典礼
- 5 関連文献
アイルランド聖公会
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「アイルランド共和国法」の記事における「アイルランド聖公会」の解説
アイルランド全島におけるアイルランド聖公会の聖公会祈祷書はイングランド国教会のそれを模しており「私たちの最も慈悲深い神である主、ジョージ王、王室、そしてイギリス連邦のために」という3つの「護国の祈り」が含まれていた。この教会は歴史的にプロテスタントの優位性(英語版)と結びついており、1871年まで(英語版)は国教(英語版)として位置付けられていた。全体の3分の1にあたる南部アイルランドの信者は1922年以前そのほとんどがユニオニストでその後も親英派であった。1948年後半、ジョン・グレッグ(英語版)、アーサー・バートン(英語版)の両大主教は1949年の教会会議(総会(英語版))で聖公会祈祷書が更新されるまでの間、新たな共和国で使うため暫定的な代わりの祈りを考案した。 クロンドーキン(英語版)のヒュー・モード率いる草の根運動はいかなる変更にも反対した結果、1950年の総会で妥協案が承認され、北アイルランドではそれまでの祈りを残し、共和国では「大統領とすべての権力者のための祈り」と「ジョージ6世のための祈り......その領土では我々は余所者と見なされない」(1949年アイルランド法を指す)を用いた。同様に朝夕の祈りの典礼には北アイルランドの場合「主よ、女王をお救い下さい。」共和国では「主よ、私たちの支配者をお導き下さい。お守り下さい。」が含まれている。ミリアム・モフィットはモードの支持者のほとんどが年配の信者であったと記している。
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