その後の動静
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2006年4月23日に行われた合併後初の岩国市長選挙において、空母艦載機移転撤回を主張した井原勝介(旧岩国市長)が、空母艦載機移転受け入れを前提として国と協議すべきだと主張した自由民主党推薦の新人味村太郎候補らを破り当選した。これを受け、井原市長は改めて合併後の岩国市として空母艦載機移転に反対の態度を表明している。 一方で、在日米軍再編については2006年5月1日に日米両政府の間で空母艦載機部隊移転を含めた再編計画「再編実施のための日米のロードマップ」に合意。これを踏まえて二井山口県知事は「基本的に空母艦載機部隊移転には反対ではあるが、政府間合意が成された以上は国との協議には応じるべき」と柔軟な姿勢を見せつつある。一方で井原岩国市長(当時)は「在日米軍再編に対する市民の不安が払拭されていない」「空母艦載機部隊移転計画ありきでの協議には応じられない」と強硬な姿勢を崩していない。 その中で防衛施設庁は、在日米軍再編計画への地元の同意がないことを理由に、2005年より3年計画で予定されていた岩国市役所庁舎改築事業への国からの補助金を凍結し、2007年度予算に計上しなかった。米軍再編に防衛官僚として使命を持っていた守屋武昌事務次官の判断であった。このため、国からの補助に替え合併特例債を財源とした市庁舎改築事業の予算案を巡って岩国市議会が紛糾、岩国市の当初予算が6月定例議会でも成立しないという事態に陥った。国の強硬姿勢が明らかになったことで、岩国市と国との対立、さらには岩国市内部での対立が深まる様相を示していた。 その後、国と岩国市の協議が膠着状態となる中で、全ての周辺自治体が空母艦載機移転に反対していたうち、広島県大竹市の入山欣郎市長が2006年12月22日にこれまでの態度を一転させて、米空母艦載機部隊の移転受け入れを初めて表明した。久間章生防衛庁長官は入山に「この恩を肝に銘じる」と言って感謝した。周辺自治体が切り崩される中で岩国市当局は、2007年9月議会にも岩国市庁舎改築事業の財源の大半を合併特例債に切り替える補正予算を2度提案したが、在日米軍再編に同意し米軍再編交付金の受け入れを迫る議員が過半数を占める市議会がこれをいずれも否決した。一方で合併特例債の申請期限が迫っており、この状態が続くと歳入欠陥が発生する懸念があった。この状況を打開すべく井原は2007年12月26日、12月議会での通算5度目の予算案提案の際に「私の首と引き換えに予算を通してほしい」とし、市議会議長に辞職願を提出した。 その結果、2008年2月10日に在日米軍再編を争点とした出直し市長選が行われた。この選挙で、議会主流派が支持し在日米軍再編に関して国との条件交渉を求める新人の福田良彦(元自民党衆議院議員)が移転反対を訴えた前職の井原勝介を僅差で破り当選した。就任直後の移転容認表明は避けたものの、選挙結果を受けて国は「移転容認」を正式表明した段階で、当初の補助金に相当する額を支給できる新たな補助金を創設する予定としている。
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